2018年9月4日火曜日

事例学習 大道遺跡・馬ノ口遺跡・バクチ穴遺跡(旧石器)

村田川河口低地付近縄文集落の消長分析 7

縄文時代それも中期から後期・晩期にかけての様子をターゲットにした学習を行っているのですが、その時期の特性を比較して理解するために迂遠ですが旧石器時代近隣遺跡の学習をしています。

1 大道遺跡・馬ノ口遺跡・バクチ穴遺跡の概要
1-1 大道遺跡
「検出されたのは舌状台地中央部であり,数か所の遺物集中地点が捕捉されている。遺物の平面分布状況および産出層準、母岩の分布状況などから, これらの集中地点がいわゆる環状ブロック群の一部を構成していた可能性はきわめて高い。遺物の総数は349点で、仮に本集中地点が環状分布していれば発掘調査されたのは約1/4にすぎない。」

遺物の出土状況 「千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)」から引用

1-2 馬ノ口遺跡
「遺跡は標高30~40mほどの半島状の台地上にある。調査の結果, 21か所の遺物集中地点が検出された。遺物の集中には, 6点以下の少量の遺物からなる遺物集中地点と,比較的点数の多い遺物集中地点並びに,礫のみの遺物集中地点という3種類に分かれる。また, 出土層準から大きく4つの文化層に分けることができる。第1文化層はソフトローム層中(Ⅲ層),第2文化層は第1黒色帯下部~ハードローム層上部(Ⅴ層~Ⅵ層)、第3文化層は第2黒色帯上部(Ⅵ層~Ⅶ層),第4文化層は第2黒色帯下部~立川ローム層下部(Ⅸ層~Ⅹ層)を遺物産出層準としている。」

馬ノ口遺跡出土の石器(第4文化層) 「千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)」から引用

1-3 バクチ穴遺跡
「バクチ穴遺跡は,村田川北岸の標高約50mの台地上に位置する。第1文化層は2つの遺物集中地点があり、石器の数量的な差はみとめられるが、ナイフ形石器にはメノウ、角錐状石器には黒曜石、掻器には黒曜石・頁岩を用いており、器種と石材の関係に共通点が多い。第2文化層はすべて黒曜石で17点の剥片が石核に接合する。」

バクチ穴遺跡出土遺物 「千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)」から引用

2 遺跡の位置

旧石器時代遺跡と事例
事例の3遺跡は台地尾根に存在しますが、事例以外にも台地尾根に多数の旧石器時代遺跡が分布します。旧石器時代には台地尾根が良好な狩場となり、狩が終わった後その場に逗留して動物解体、皮を干したり干し肉を作ったものと想像します。その逗留の跡が旧石器時代遺跡として発掘されているものと考えます。
旧石器時代には千葉東南部地区の台地尾根は動物が豊富で同時に狩をするに絶好の地形をしていたものと考えます。
狩のイメージはシカなど季節移動する動物を追って人が移動して生活していたと考えます。千葉東南部地区付近の台地尾根に動物が増える季節があり、その季節に人が来て狩をし、しばらく逗留し、去っていくという生活が存在していたと考えます。

3 広域の旧石器時代遺跡分布からみた千葉東南部地区の様子

旧石器時代遺跡
広域的に見て千葉東南部地区は旧石器時代遺跡分布が濃密であり、旧石器時代に良好な狩場であったことに間違いありません。

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