2011年8月6日土曜日

縄文丸木舟と大賀ハス4

浪花川流域紀行6 縄文丸木舟と大賀ハス4

3 丸木舟の出土地点及び周辺の地形
3-1 丸木舟の出土地点
 丸木舟の正確な出土地点情報を見つけることが出来ていません。
 そこで既存資料情報をGIS上にプロットして正確な位置を絞り込めないか検討してみました。

 私がみつけた出土地点関連情報が掲載されている地図は次の4点です。
1 「千葉市史史料編1原始古代中世」(千葉市発行)98ページの「落合遺跡の周辺地形図」

            「千葉市史史料編1原始古代中世」掲載地図
 落合遺跡が直径100m程度の円で示されています。

2 「千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)」(千葉県発行)738ページの「遺跡の位置(1/25000 千葉西部)

            「千葉県の歴史資料編考古1」掲載地図
 1の黒丸が落合遺跡です。この黒丸は次の千葉県埋蔵文化財分布地図の情報をポイント表示したものです。

3 「千葉県埋蔵文化財分布地図(3)-千葉市・市原市・長生地区(改訂版)-」(千葉県教育委員会発行)の「NO.40千葉西部」図幅(落合遺跡〔102〕の括り線)

            「千葉県埋蔵文化財分布地図(3)(改訂版)」
 102番が落合遺跡です。

4 「千葉県検見川独木舟遺跡地附近の地形」(中野尊正、地理調査所時報第3集、1948年)収録の地形分類図

            「千葉県検見川独木舟遺跡地附近の地形」
 丸木舟出土地点と銘打った情報で入手できたのはこの資料だけです。(中野尊正著「日本の平野」〔古今書院〕にもこの情報を編集したものが掲載されています。)
 地形分類図に「独木舟出土地点」として×点が2箇所掲載されています。(丸木舟は昭和22年7月と昭和23年1月の2回にわたって出土しています。)×点の位置が浪花川の本川筋谷津の谷底ではなく、それに流入する谷津の尾根末端を結ぶ線上に位置しています。この資料の著者は丸木舟発掘調査に参加している地形学者ですから、出土地点の位置と地形との関係の特徴は、この地形分類図が小縮尺であるにも関わらず、正確に捉えて表現しているものといえます。

 なお、大賀ハスについて、「大賀ハス」(千葉市立郷土博物館発行)に大賀ハス発掘位置の精度の高い地図が掲載されています。この資料の文章中に「前年丸木舟の発掘されし場所を掘り始めたけれど作業困難のため、発掘場所を55m奥にうつす」との記述があります。この記述から逆に丸木舟出土場所の推定が可能かもしれませんから、検討材料にこの情報も加えます。
5 「大賀ハス」(千葉市立郷土資料館発行)の大賀ハス発掘位置

            「大賀ハス」掲載地図

 上記5つの情報をGISに落とすと次のようになります。


            落合遺跡位置の資料比較(現代地図)
 この地域は丸木舟、大賀ハス発掘後大規模な地形改変が行われ、谷筋の概形は辛くも残っていますが、谷津地形の詳細は全て失われてしまいました。従って、現代の地図から資料比較することは困難です。そこで、この情報を旧版地形図をベースに見てみます。

            落合遺跡位置の資料比較(旧版1万分の1地形図「検見川」)

 この資料比較分布図(旧版地形図ベース)から次のような感想を持ちました。
1 埋蔵文化財地図(「千葉県埋蔵文化財分布地図(3)(改訂版)」)と千葉県資料(「千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)」)に示される落合遺跡位置は浪花川本川筋の谷津谷底を指しており、正確性に欠けると考えられます。近くに「大賀ハスの碑」があるためそれに曳かれるなどして、「だいたいこの近く」という情報を提供したものと考えます。

2中野尊正資料(「千葉県検見川独木舟遺跡地附近の地形」)と千葉市資料(「千葉市史史料編1原始古代中世」)は真の出土地点の近くを示すものと考えます。

3大賀ハス発掘地点(「大賀ハス」掲載)は、「舟出土地点から55m離れた場所」が正しいなら、不正確だと思います。旧版地形図にプロットすると谷津の奥になりすぎるし、地形上、低地と尾根の境目附近になります。私の想像ですが、大規模地形改変が行われ、谷の幅が2倍以上になったときの現地や地図を参考にして、発掘当時の印象を後年にプロットした資料のように考えます。もちろんこの資料は大賀博士が作成したものではありません。
この資料を最初に見たとき、丸木舟出土地点特定の切り札になるのではないかと密かに期待に胸を膨らましたのですが、そうはなりませんでした。

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