浪花川流域紀行9 縄文丸木舟と大賀ハス7
検見川出土丸木舟(江戸東京たてもの園所蔵)
正面からの撮影
4 出土した丸木舟の特徴
4-1 最初に出土した丸木舟現物の閲覧
次の出土経緯のある出土丸木舟現物の閲覧機会を江戸東京たてもの園で得ました。
「昭和22年(1947)7月28日千葉市畑町1501、旧東京大学運動場予定地であり、当時東京都の所有に帰し、作業中であった東京都林産組合草炭採掘場に於いて長さ6m20、幅43cm、材カヤなる鰹節形丸木舟(第46号)が発見せられ、頗る学界の注目を惹いた。」「第46号の舟は、今日井の頭公園の武蔵野文化博物館に、…蔵せられてをる。」(「上代独木舟の考察」〔松本信広、1952、『加茂遺跡』《三田史学会》収録論文〕)
現物を見せていただいて、次のような感想を持ちました。
1 思っていた以上に原形を保っているという第一印象を持ちました。原形を保っているので、専門知識のない私でも利用状況を想像でき、それが眼に浮かんでくるようなインパクトを受けました。花見川や縄文時代に対する興味が高まります。
2 材質や年輪、節などがよくわかります。手で触れることはしませんでしたが、叩けば今ある木製品と同じ音がするであろうと感じました。保存処理はされているとこのことでした。
丸太断面の2/3を使ってつくっているような印象です。
なお、船首、船尾部分を除いて、丸太を完全に刳りぬいて作成されています。
追って報告する八千代市立郷土博物館に収蔵されている印旛沼(香取の海)保品出土縄文丸木舟では、横梁部4箇所を刳り残し、舟に強度を増す工夫がされています。
検見川出土丸木舟(江戸東京たてもの園所蔵)
船尾から撮影
3 舳先の外側(水押部)がとても滑らかに削ってあります。同時に削った刃の跡が一つ一つ残っています。この部分を滑らかにすることは、波を切るために必要であり、舟の航行能力向上に必要であったに違いありません。石器の道具でこのように滑らかに削る技術があったことに感心しました。石器といっても鋭利な刃物であることを実感しました。
節のある部分では刳りを少なく調整して(舟側部の厚さを大きく瘤状に残して)、節部分から舟が壊れないように工夫してあります。
船尾部分は刳り残しを作って、舟の強度を維持しようとしています。
もっと詳細に観察すれば舟を作るときの様々な工夫(技術)を読み取ることができそうです。
検見川出土丸木舟(江戸東京たてもの園所蔵)
舳先下部から撮影
検見川出土丸木舟(江戸東京たてもの園所蔵)
船尾部分内側から撮影
4 アウトリガーや帆を立てるために使われたかもしれない凸部や凹部を探してみましたがありませんでした。
カヌーを利用したことが無いので、体で発言できないのですが、感覚的に想像すると、この6.2mの丸木舟は2人以上で利用したと考えました。現代人がだれでも自転車に乗れるように、縄文人はだれでも丸木舟操船が(高度に)できたに違いありません。転覆するようなことは少なかったと思います。同時に操船技術では対応できない状況に対処することが必ず必要ですから、構造上の仕掛けを必要としないアウトリガーや浮きを装備していたかもしれないと想像しました。他書によれば、帆は後代に登場したと書いてあります。
5 終戦直後の昭和22年に、これだけ大きい遺物をよくも壊さないで東京まで運んだという当時の熱意と運搬技術にも感心しました。
現物資料の閲覧を許可していただいた江戸東京たてもの園に感謝します。
また検見川出土丸木舟が江戸東京たてもの園に所蔵されている情報を教えていただいた千葉市立郷土博物館にお礼申しあげます。
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