2011年8月8日月曜日

縄文丸木舟と大賀ハス6

浪花川流域紀行8 縄文丸木舟と大賀ハス6

3-3 丸木舟出土地点周辺の地形変遷
 中野尊正著「日本の平野」(古今書院発行、昭和30年)には丸木舟、大賀ハスの遺物出土点の位置を明らかにするために行ったボーリング、電探調査、井戸屋からの聴込調査等による結果が詳細に報告されています。以下主要点を紹介します。

ア 泥炭地の厚さ
電探調査等により作成した泥炭地の厚さの等高線が示されています。

            検見川低地の泥炭層の厚さ(中野尊正著「日本の平野」)

 この調査から丸木舟と大賀ハスが出土した場所は支谷の出口付近の泥炭層が最も深い場所であり、その前面(花見川側)には埋没している砂州(砂堆)が見つかりました。

イ 地形の変遷
 3枚の地図を掲載して、調査結果を次のように説明しています。

            検見川低地の地形発達A初期(中野尊正著「日本の平野」)

            検見川低地の地形発達B中期(中野尊正著「日本の平野」)

            検見川低地の地形発達C末期(中野尊正著「日本の平野」)

この谷の地形発達史は次のように考えられよう。冲積世のある時期に海進があって、検見川の谷には広く入江が形成された。台地を刻む小谷の出口には、比高1~2mの砂堆の形成されたところもあったが、東京湾に面した谷の出口には、もっと大きな砂州が発達しはじめた。海の後退にともなって、出口を砂堆でふさがれた谷奥部にはいち早く泥炭の形成をみた。時代が下がるにしたがって、泥炭はその厚さを増大したが、その泥炭堆積の初期に丸木舟と蓮実とを埋積した。ついでもっとも大きい砂洲もそのすがたを海面上にあらわすようになった。

 丸木舟や大賀ハスに関する地学的な考察はこの書(中野尊正著「日本の平野」)掲載情報が一番詳しいのではないかと思います。

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