2011年8月3日水曜日

縄文丸木舟と大賀ハス1

浪花川流域紀行3 縄文丸木舟と大賀ハス1

            花見川旧河口付近
 迅速図「千葉県下総国千葉郡畑村」図幅と「千葉県下総国千葉郡馬加村」図幅を機械的に集成したものです。いずれも明治15年測量。

            丸木舟出土地点(×印2箇所)が掲載されている資料
 「千葉県検見川独木舟遺跡地附近の地形」(中野尊正、地理調査所時報第3集、1948年)収録の地形分類図。これより精度の高い丸木舟出土地点情報は見つけることは出来ませんでした。

1 はじめに
 現在東大総合運動場になっている花見川区朝日ヶ丘町の浪花川谷底から縄文丸木舟と大賀ハスが終戦直後の昭和20年代に出土しました。
 花見川流域散歩人としては大変興味のあることです。
 以前からその情報は知っていましたが、詳しく調べることが無かったので、このたび少し気張って調べてみました。

ア まず、江戸東京たてもの園にて検見川出土現物資料を閲覧させていただき、丸木舟を体感してみました。

イ その際教えていただいた論文「縄文丸木舟覚え書-房総の諸事例から-」(高橋統一、アジア文化研究所研究年報39、2004年)を参考とし、さらにその参考文献を手がかりにしてめぼしい資料を見てみました。
検見川の丸木舟については、出土が昭和20年代前半であるため、現在の遺跡調査のようなまとまり整理された調査報告書はないようです。

ウ しかし、以前から所持していた書籍(「日本の平野-沖積平野の研究-」(中野尊正、古今書院、昭和31年)に、著者が遺物出土に立ち会って堆積環境や地形について調査した結果が詳しく掲載されていることに気がつきました。

エ さらに、八千代市立郷土博物館にて印旛沼出土丸木舟(複製物)を閲覧させていただき、現物資料の写真を借用させていただきました。東京湾だけでなく、花見川(河川争奪地形)を利用した古代回廊でつながる印旛沼(香取の海)の情報も合わせて考えることにより、発想の幅が広がります。

オ 大賀ハスについては、7月4日に千葉公園で開花最盛期の姿を観察体験しました。

カ また、大賀ハス情報を体系的に整理取りまとめた書籍「大賀ハス」(千葉市立郷土博物館発行)を読みました。

このようにして得た情報を、私の興味に沿って順次紹介します。
(つづく)

0 件のコメント:

コメントを投稿