2014年5月16日金曜日

印旛沼筋の古地理図

シリーズ 花見川地峡成立の自然史 -仮説的検討- 
第3部 印旛沼筋河川争奪に遡る その5

これまでに印旛沼筋河川争奪の証拠を3つあげてきました。

印旛沼筋河川争奪の3つの証拠
1 印旛沼水系のパターン異常
2 下総下位面時代谷津幅異常
3 下総下位面構成地層の高度・層厚異常

これらの証拠から印旛沼筋の西半分では、その流向が真逆に変化したことになります。

その姿をポンチ絵でイメージしてみると次の図になります。

約10万年前の古地理図

参考に、千葉県の自然誌(本編2)(千葉県発行)に掲載されている古地理図を対照できるようにしてあります。この古地理図は現状の水系パターンから「印旛沼は利根川の名残川である」と発想し、それを地図に投影して作成したものです。

名残川:河川の流路変更で放棄された旧河道の中に残る小流。東木龍七(1928)が延長川の移動後に、もとの流路を受け継ぐ小流を名残川と呼んだことに始まる。(新編地学事典、平凡社)

印旛沼筋に利根川の分流(あるいは本流)が流れていたということは、現状の水系パターンから得られる空想であり、裏付け根拠がない誤りです。

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