2015年11月1日日曜日

メモ 萱採取集団の存在を暗示する墨書土器

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.236 メモ 萱採取集団の存在を暗示する墨書土器

墨書文字「草田」(カヤタ)が有用資源の萱(かや)増産の祈願語であり、結果として地名「萱田」と対応付けられると考えました。

「草」1文字の墨書土器もありますから、「草田」(カヤタ)は地名そのものを書いたものではないと考えたのです。

さて、萱田遺跡群には唐草模様のような字を書いた墨書土器が9点出土します。権現後遺跡から4点、白幡前遺跡から5点出土します。

この唐草模様のような字が草の象形文字をリアルに書いたものであることが判ったので報告します。

萱田遺跡群出土「唐草模様」墨書土器は草の象形文字を書いていると考える

漢和辞典の引用にあるように、「草木の芽生えを形で表す」象形文字が伝わて来ていて、その象形文字を二つ合わせて草の原字が出来たことがわかります。

その「草木の芽生えを形で表す」象形文字をリアルに図案化して書いたものが唐草模様のような墨書土器であると考えます。

草の象形文字はカヤと読み、草(かや)増産の祈願語です。

「草」や「草田」という漢字そのものが出土する一方、草の象形文字を書くということは相当深い漢字知識が存在していたことになります。

また、今風に言えば、立派なエンブレムを古代人が作っていたことになります。その風流、遊び心、知的余裕に感動します。

草の象形文字を墨書土器に書いた集団は有用資源の萱採取集団であた可能性がある

草の象形文字を書くという行為から草に関する仕事を使命として強く意識していた集団、草の仕事に特化した集団がこの墨書土器を書いたものと考えて間違いないと思います。

おそらく、建築資材や生活資材としての草(かや)採取集団であったと考えます。

なお、権現後遺跡は土器生産遺跡です。土器生産現場の燃料として多量の草(かや)を使っていた可能性があります。

土器生産のための燃料以外にも、萱葺き屋根のために多量の草(かや)が必要であったと考えます。

有用資源の萱の需要が旺盛であり、その需要を満たすだけの草(かや)が存在し、その草(かや)を刈り取る専門集団が存在して活躍したことにより、地名「萱田」が発生したと考えます。

おわり

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