2017年4月26日水曜日

西根遺跡は翡翠原石入荷ミナトか? 学習用作業仮説追補

西根遺跡(縄文時代)の学習を始めるに当たって、2017.04.20記事「西根遺跡学習用作業仮説」を書きました。

学習用仮説の趣旨は次の通りです。

戸神川ミナト施設が壊れた時、その場所を土器送り場、動物送り場(イオマンテ)にして、再建新設ミナト施設に付属する祭祀空間(ミナト送り場)とした。
そのようなミナト送り場は300年間の間に上流から下流に7回にわたって移動した。

この記事では発掘調査報告書の詳細検討に入る前に「出土しないもの」の情報から学習用作業仮説をさらに追補します。

1 西根遺跡から出土しないもの
1-1 祭祀用土器が全く出土しない
西根遺跡から加曽利B式土器が102100片、想定土器個体数1150個体~1200個体出土しています。しかし祭祀用土器は全く出土していません。
土器送りの場に祭祀用土器の持ち込みを完全にシャットアウトするだけの強力な社会規制があったと考えられます。

1-2 土製品がほとんど出土しない
土器片を利用した錘が数点出土していますが、土器以外の土製品がほとんど出土していません。
土器送り場に土製品の持ち込みを完全にシャットアウトするだけの強力な社会規制があったと考えられます。

1-3 石器がほとんど出土しない
実測可能な石器が22点出土しています。確実に加曽利B式土器に伴う遺物は石鏃1点、磨石7個体、石皿片7点、置砥石2個体、台石1個体です。
土器出土量(102100片、想定土器個体数1150個体~1200個体)と比較して石器出土はほとんど無いに等しい量です。
土器送り場に石器の持ち込みを完全にシャットアウトするだけの強力な社会規制があったと考えられます。

例えば、竪穴住居廃絶に伴う送り祭祀では生活用土器のほか祭祀用土器、土製品、石器が出土することは一般的な事象ですから、西根遺跡でこれらの出土がほぼゼロであるという情報は貴重で重要なものであると考えることができます。
社会が西根遺跡に祭祀用土器、土製品、石器の持ち込みを禁止していたという状況が読み取れます。

2 出土しない遺物から導き出される遺跡意味
2-1 石器、実用土製品持ち込み禁止の意味
石器とは狩猟や植物採集や堅果類の加工調理など生業活動(生産活動)に使う道具です。
石器、実用土製品という生業活動(生産活動)に使う道具の持ち込みを禁止するのですから、西根遺跡は生業(生産)とは関わらない遺跡であることを導くことができます。

2-2 祭祀用土器、祭祀用土製品持ち込み禁止の意味
祭祀用土器、祭祀用土製品は家庭の中で営まれる祭祀で使われる道具であると考えます。
その家庭内祭祀用品の持ち込みを禁止するのですから、西根遺跡は家庭内祭祀とは関わらない遺跡であることを導くことができます。

3 日常生活用土器だけが送られるという特性から導き出される遺跡意味
日常生活用の加曽利B式土器だけが多量に送られた意味を石器がほとんどゼロである状況と対比させて、次のように考えます。

・日常生活用加曽利B式土器…人々の日常における精神生活を象徴(食事・飢え、病気・健康、出産・死亡、育児・成長、…)→シャーマンが関わる領域
・石器…生産生活を象徴 (狩猟、漁撈、採集、栽培、加工・調理…)→集落リーダーが関わる領域

日常生活用加曽利B式土器が多量に送られた意味から、西根遺跡はシャーマンが関わる精神生活に関わる遺跡であると考えます。

4 西根遺跡の意味
西根遺跡は、石器が送られないことから生業とは関係しないと考えます。
また西根遺跡は祭祀用土器が意識的に送られないことから家庭内レベルの祭祀にも関係しないと考えます。
しかし、日常生活用加曽利B式土器が送られることからシャーマンの権能に関係した遺跡であると考えます。
西根遺跡の意味は、一般住民レベルではなくシャーマンレベルの(シャーマンが主催する)土器送り場であると解釈します。

5 西根遺跡は翡翠など玉原石入荷ミナトである(学習用作業仮説追補)
西根遺跡がシャーマンによる土器送り場であるとの想定に基づき、次の仮説を追補します。

5-1 縄文時代後期の玉製作遺跡
千葉県の主な縄文時代玉製作遺跡の分布とリストを示します。

千葉県の主な縄文時代玉製作遺跡

千葉県の主な縄文時代玉製作遺跡

西根遺跡周辺の4つの玉製作遺跡は翡翠など原石を遠隔地にもとめ、かつ西根遺跡と同じ縄文時代後期です。

玉とは縄文人の精神生活と切り離すことができない呪具であり、シャーマンが所管するものです。

西根遺跡が翡翠など玉原石が遠方から入荷するミナトであると考えると西根遺跡の意味とよく合います。

西根遺跡は翡翠など玉原石の入荷ミナトであったか?

新潟県糸魚川からはるばる運んできた翡翠が時々西根遺跡(戸神川ミナト)に入荷したのだと思います。

その入荷を誠心誠意迎えるために、近隣遺跡シャーマンが近隣住民を指導して多数のほぼ完姿土器を丁寧にならべた土器送り場をつくり、やってきた翡翠商人をイオマンテでもてなしたのだと想像します。

西根遺跡は翡翠商人もてなしの場であったので、生活臭のある石器や土製品などのむやみな送りは禁止して、演出された送り場風景をつくっていたと考えます。


西根遺跡に翡翠をからめることができたので、その仮説が生きるか死ぬかまだ分かりませんが、学習意欲が高まります。

*西根遺跡では黒曜石石核、剥片が20点出土していて、発掘調査報告書では縄文時代後期より以前であるとしています。
この事実から戸神川ミナトが縄文時代後期以前にあっては石材入荷場所であったことが判ります。
縄文時代後期になると、狩猟用石材ではなく祭祀用石材(翡翠など)に入荷物が変化したと考えます。

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2017.04.20記事「西根遺跡学習用作業仮説」掲載作業仮説
西根遺跡(縄文時代)学習用作業仮説 ミナト施設送りとしての土器送り・イオマンテ
2017.04.20

1 仮説
・出水や水面低下によるミナト施設廃絶と下流代替ミナト新設というイベントに際して、廃絶ミナト施設空間がミナト施設送り場となる。
・ミナト施設送り祭祀の一環として、その場所が土器送りの場、イオマンテの場(動物送りの場)となる。
・ミナト施設送りでは祭壇が設けられ、送り用土器がディスプレイとして並べられ、同時にシカやイノシシ幼獣のイオマンテが行われ、その
肉は焼いて人々にふるまわれた。
・ミナト送りの場(破壊ミナト施設、祭壇、ディスプレイ土器群)とその下流の新設ミナト施設のセットが広義のミナト空間を形成した。
・つまり、広義ミナト空間は運輸実務施設である桟橋・広場などと祭祀空間(桟橋跡、祭壇、土器群)から構成されるまとまりである。
・新たな出水や水面低下により再びミナト施設が破壊されると、その場所に祭祀空間が移動し下流近隣に桟橋や広場が再建された。
・ミナト送り場の移動が西根遺跡では7回観察される。

2 仮説の問題点
1) ミナトという機能施設そのものを「送る」という概念が成立するのか?
2) このミナト(以下、戸神川ミナトと仮称)が送られるだけの大きな意義を有することを、広域考古情報等から合理的に説明できるか?
3) 戸神川ミナトを送ったと考えられる印旛沼広域圏から土器が持ち込まれたことを検証できるか?
4) ミナト施設あるいは機能の存在を検証できるか?

3 仮説検討イメージ
1) 機能施設(空間)そのものを「送る」例として炉穴が存在する。竪穴住居もそのような視点から捉えられる。
アイヌ考古学では動物の送り、植物の送り、道具の送りが語られているが、機能施設送りは遺物と直接対応しないので看過されたと直観する。
2) 戸神川ミナトが信州や北関東から黒曜石等石材を搬入する交易拠点であったという意義の説明をしたい。
3) 発掘調査報告書の精緻な土器分析の中から、土器が広域から戸神川ミナトに持ち込まれたことの証拠を探したい。
4) 発掘した川筋と遺物について精緻な分布分析を行い、その中からミナト機能実在を検証したい。
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