2017年4月30日日曜日

学習 宇田川洋「イオマンテの考古学」

図書館から借りて宇田川洋(1989)「イオマンテの考古学」(東京大学出版会)を読書学習しました。

宇田川洋(1989)「イオマンテの考古学」(東京大学出版会)

著者が取り組んでいるアイヌ考古学という分野で「送り場」というものがどのように捉えられているのか知りたくて読書したものです。

次のような著者の考えを学ぶことが出来、貴重な情報を仕入れることができたという感想を持ちました。

●アイヌの「送り」の対象
・動物送り…クマ、キツネ、タヌキ、オオカミ、シカ、クジラ、シャチ、フクロウ、ワシ、カケス、サケ、シシャモ、カスベ、アホウドリ、エゾイタチ、コエゾイタチ、テン、リス、ハヤブサ、クマタカ、貝…
・植物送り…すべての食用野生植物(不用部分、糠、灰…)
・道具送り…日常器具や祭具全般

●道具を故意に壊して送る例
道具を故意に壊して送る次の事例記述は、房総縄文時代竪穴住居のみならず奈良時代竪穴住居でも一般的にみられる現象なので、私にとってはとても参考になるものです。
……………………………………………………………………
シュワン送り場の例
本例は、標茶町虹別に所在する遺跡であるが、詳細についてはのちほど改めて述べることにする。
各種の"もの"が送られていたが、注意すべきもののひとつに鉄製の仕止め矢がある。
図12上はまとまって出土した状態であるが、先端の鏃の部分が直角あるいはそれ以上に曲げられていたり、あるいは折れて離れてしまっている状態がうかがえる。
このような貴重な道具を送るということは、破損して使用できなくなった場合あるいはその持ち主が何らかの理由で使用を中止した場合が考えられるが、曲げられて送られたものは後者に該当するであろう。そして送る際には、故意に折り曲げているのである。
このようなことは、器物に関してはほとんど例外なくおこなわれたらしい。
そしてその歴史は古く、たとえば北海道では続縄文時代の墓から出土する副葬品のなかの完形土器の破損埋葬と通じるものである。
底部に孔をあけたり、底部や口縁部の一部を故意に打ち欠いたりして埋葬するのである。
墓の副葬品は"送る"という意識とは少しニュアンスが異なるであろうが、器物の使用廃止後の処理という意識では共通するものである。
ところで、図12下の仕止め矢は、上の出土状態のものと同一である。
仕止め矢は全部で12点が出土しているが、そのうちの7点がまとまって送られていたわけである。当遺跡では行器などの道具類もまとまった形で送られていた。
シュワン送り場の仕止め矢
宇田川洋(1989)「イオマンテの考古学」(東京大学出版会)から引用
……………………………………………………………………

●送り場形式の分類と変遷
著者は次のように送り場を分類しています。
・土を意識した送り場
より古い段階の竪穴住居祉などの凹地を神聖な地として利用する送り場
・石を意識した送り場
石積み・集石・配石を伴う例や岩陰を利用する送り場
・貝塚を意識した送り場
貝塚を利用した送り場
・木を意識した送り場
大木を御神木としてその根元を利用する送り場
・無施設の送り場
海浜、洋上など

●送り場形式の変遷
著者は次のように記述しています。
……………………………………………………………………
形式の変遷
前に送り場の形式分類をみてきたが、"土を意識する形式"、"石を意識する形式"、"貝塚を意識する形式"、"木を意識する形式"、"無施設の形式"の5つに大別できた。
これらを、既述の出土遺物や火山灰年代ともあわせて考えてみることにする。
つまり形式の変遷をたどってみようとするわけである。

現在のところ、15世紀段階のころは竪穴住居趾などの凹地を聖地として利用する送り場つまり"土を意識する形式"が多いようである。
ついで16世紀段階に入ると、この形式に加えて貝塚が登場するようである。
今のところ半々くらいの比率のようである。
それは17~18世紀の「原アイヌ文化」の後期に入っても同じくらいの比率で出現しているといえる。
「新アイヌ文化」段階に入って19世紀になると、すべての形式がアトランダムに出現するようである。
そしてさらに20世紀にいたって多くなるのは御神木のもとに送る"木を意識する形式"である。
ほかにやや多いのは岩陰を利用する"石を意識する形式"のようである。

このように、例数が多いものの基本的な流れをみると、"土を意識する形式(竪穴上層)"→"貝塚を意識する形式"→"木を意識する形式(御神木)"という順序が認められる。
ほかは比較的例数が少ないもので、現段階でははっきりいえない状況である。
しかし19世紀以降の「新アイヌ文化」の段階とそれより前の「原アイヌ文化」の段階では、送り場の形式に違いがあったことは指摘できそうである。
宇田川洋(1989)「イオマンテの考古学」(東京大学出版会)から引用
……………………………………………………………………

●考察
この図書を学習した目的は、自分の仮説…縄文時代において、施設の廃絶に伴い、その施設そのものの送りがあり、その送りは故人の送り、動物送り、道具送りと一体不可分であった…に参考となる情報を得ようとした点にあります。
直接的には「施設そのものの送り」という概念がアイヌ考古学にあるかどうかということを知りたいと思いました。
結果的にはアイヌ考古学には「施設そのものの送り」という概念はないことが判りました。
送り場の変遷が示すように、この図書が対象とする15世紀以降は廃絶時竪穴住居そのものを送り場とする例がないのですから(古い竪穴住居跡の上部を利用していたのですから)、竪穴住居そのものを送ったという概念が発生しなかったのだと思います。

15世紀アイヌの「古い竪穴住居の凹みを利用した送り場」は縄文時代における竪穴住居廃絶に伴う送り場形成にそのルーツがあると考えます。
そのルーツでは「故人や動物や道具を送ったのみならず、竪穴住居空間そのものを送った」という概念が存在していたと考えます。

この図書は私にとってとても有益な図書であり、図書館のお世話になる本ではないと考え、早速WEB古書店から購入しました。
また著者の最新学術書2冊も入手して学習することにしました。

0 件のコメント:

コメントを投稿