「1 土器・石器の出土は主人が死亡して竪穴住居が廃絶した時、故人を送る祭祀で持ち込まれたお供え物であると考えます。その量は集落内における故人のステータスの高さに、比例すると考えます。
2 獣骨出土も故人を送る祭祀で集落社会が故人と供食した動物の骨を土器・石器とともに持ち込んだものであると考えます。」
一方、2017.04.13記事「河野廣道(1935):貝塚人骨の謎とアイヌのイオマンテ 学習」でアイヌは自身の経済生活と関係あるすべての生活資料や器具を送ることを学びました。
アイヌは器具や家具・食器等に至るまで、不用のものや毀れたものは、全てヌササン(祭壇)の傍ら又はポンヌサ(小祭壇)の近傍にまとめて送るので、所かまわず捨てる様なことは決してしないということを学びました。
アイヌを大膳野南貝塚前期後葉集落の縄文人に置き換えて思考すると、次のような想定も可能になります。
竪穴住居主人が死亡してその竪穴住居で故人の送り祭祀が行われた。この時その竪穴住居にはイナウ(*)が立てられ、竪穴住居の一角はヌササンとなり、ヌササンの傍らが物送りの場となった。
故人が有力者であり送り祭祀が盛大であるほどヌササンも立派になり、同時にヌササン傍らの物送り場機能も盛大になり、多くの土器・石器・獣骨が送られた。
つまり、竪穴住居から出土する土器・石器・獣骨は故人送り祭祀の直接的お供え物ではなく、故人送り祭祀に伴う物送りの結果であるとして捉えることが可能であるということです。
有力者の竪穴住居ほど出土物が多いと考えますから、有力者の竪穴住居ほど物送り場としての機能が盛大になったと考えます。
有力者を盛大に送るためには、盛大な物送りが行われたと考えます。
これを逆に考えると、盛大な物送りの跡が見つかれば、つまり土器・石器・獣骨などの出土物が多ければ、その背後には人々の気持ちを盛大な物送りに駆り立てた本当の送り対象が存在していたということになります。
土器・石器・獣骨などの出土物が多ければ、それらの送りが行われたと思考するだけでは不十分であり、その背後に存在する本当の送り対象を見つける必要があります。
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参考 イナウ
inaw
アイヌの祭具。柳,ミズキなどを▶削掛け状にしたもので,イナウ作りは男の大切な仕事とされ,これを捧げて神々をまつる。本来は魔神を脅すための棒であったとも考えられる。捧げる神や時と場所により,材料や形が異なり,本数や組合せも用途によって多様である。
蛸島 直
『平凡社 改訂新版 世界大百科事典』 日立ソリューションズから引用
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