大膳野南貝塚の前期後葉集落の学習を行っています。
次の項目について発掘調査報告書のデータを自分なりに咀嚼して、分析した結果生まれた興味を順次記事にする予定です。
◇竪穴住居
●土器
●石器
●獣骨
●土器・石器出土量と獣骨出土量の分析
●住居の形状・大きさ・方向・場所・建て替え・柱数・炉数
◇土坑
●形状・出土物
この記事では竪穴住居から出土する土器の形式について分析学習します。
発掘調査報告書における記載を土器形式に着目してまとめると次のようになります。
大膳野南貝塚 前期後葉 竪穴住居 土器形式
参考 大膳野南貝塚 前期後葉 竪穴住居・土坑分布
浮島Ⅱ式土器と諸磯b式土器の出土が多いのですが、よく観察すると浮島式土器が主体の竪穴住居、諸磯土器が主体の竪穴住居、その両者が主体の竪穴住居に分類できることが判ります。
浮島土器の例
諸磯土器の例
それぞれが主体となる土器形式の分布を描いてみました。
大膳野南貝塚 前期後葉 竪穴住居祉 主体土器形式分布
浮島式土器出土竪穴住居が集落の中心部に、それに隣接して台地縁を中心に諸磯式土器出土竪穴住居が分布します。
その両者が集落の中核を構成しているように観察できます。
そして浮島式土器と諸磯式土器の双方を主体とする竪穴住居が集落の外周部に分布します。
この土器形式分布から次のようなストーリーを自分専用の仮説として設定し、今後の学習の道具として、その修正・発展・廃棄を迫られるまで、活用したいと思います。
●2つの土器形式に関する仮説
1 浮島式土器を利用する家族が最初にこの地に定住して台地中央に竪穴住居を建設した。
2 次いで諸磯式土器を利用する家族がこの地に定住して浮島式土器家族の住宅より一歩だけ条件の悪い場所に住宅を建設した。
3 浮島式土器家族と諸磯式土器家族の婚姻が行われ、両家族住居を取り囲むように子ども・孫の竪穴住居群が建設され、それらの住居では両形式土器が使われた。
4 これらの住居が廃絶した時、親族が竪穴住居で祭祀を営んだ。
浮島式土器家族の場合には浮島式土器親族が祭祀の中心になるので、浮島式土器が主に持ち込まれた。諸磯式土器家族の場合には同じ理由から諸磯式土器が主に持ち込まれた。
両形式土器を使った子供・孫世代は浮島式土器親族と諸磯式土器親族が祭祀に参加するので、双方の土器が持ち込まれた。
この私家版仮説によりJ10やJ93竪穴住居の位置の不思議さ(集落中央から離れている様子)を説明することができます。
なお、J121竪穴住居からの出土物はゼロですが、集落消滅の最後に廃絶(あるいは退去)したため、誰からも祭祀を行ってもらえなかったものであるということと、おそらく浮島式土器家族であったことを想定します。
今後順次、集落の分析を進めます。
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