大膳野南貝塚 中期末葉~後期中葉 竪穴住居の面積 その1
大膳野南貝塚中期末葉~後期中葉集落の竪穴住居の面積について分析します。
発掘調査報告書では全ての竪穴住居の形状について長径と短径を推定を含めて記載しています。
このデータを用いて、便宜上竪穴住居を楕円形あるいは円形に見立てて、次の公式で竪穴住居面積を簡易的にもとめ、分析しました。
竪穴住居面積を求める式=長径×短径×π÷4
竪穴住居面積の最小・最大及び平均は次の通りです。
大膳野南貝塚 中期末葉~後期中葉 竪穴住居面積(㎡)
面積最小と最大竪穴住居は地図では次のように表示されます。
面積最小と最大竪穴住居
平面形別に面積を集計すると次のようになります。
大膳野南貝塚 中期末葉~後期中葉 平面形別竪穴住居面積(㎡)
円形・楕円形より柄鏡形の方が約4㎡面積が多くなっています。
これは次のデータによるように、円形・楕円形は古い時代に多いことが効いていると考えます。
時期別に竪穴住居面積を集計すると次のようになります。
大膳野南貝塚 中期末葉~後期中葉 時期別竪穴住居面積(㎡)
最初の期(加曽利E4~称名寺古式期)から5番目の期(堀之内2~加曽利B1期)まで時間を追って順次竪穴住居面積が増大します。
最初の期から集落ピークである堀之内1式期まで集落面積が漸増するのは、時間経過とともに生活技術が進歩して社会が全体として豊かになった様子を反映しているものと考えます。
より大型の構造物をつくる技術進歩、穴掘りやカヤ葺きエネルギー(労働力)の確保、多量の屋根用カヤ入手エネルギー(労働力)の確保、主柱用用材入手エネルギー(労働力)の確保等の条件が好転していったことを表現していると考えます。
集落ピークを過ぎて堀之内2式期になると竪穴住居面積は10㎡程急増します。
この急増が何を意味するか、今後出土物等から検討を深めることにします。
竪穴住居数は堀之内1式期は47軒に達していたのが、堀之内2式期には7軒に急減しています。竪穴住居軒数は急減したけれども、1軒あたりの豊かさが増して竪穴住居面積が増大したのか、それとも別の要因(多家族の同居など)が働いたのか、今後検討します。
なお、5番目の堀之内2~加曽利B1期と6番目の加曽利B1~B2式期は竪穴住居軒数がそれぞれ2軒しかありませんから、統計的な意味での深い検討はできないと考えます。
つづく
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