2017年5月7日日曜日

縄文時代後期集落は格差拡大社会

大膳野南貝塚 中期末葉~後期中葉 縄文時代後期集落は格差拡大社会

竪穴住居面積を前期後葉集落(竪穴住居祉16)と中期末葉~後期中葉集落(竪穴住居祉93)で比較してみました。

2つの時期集落の竪穴住居面積イメージを直観的に把握するために、面積-順位グラフを作成して並べてみました。

2つの時期の竪穴住居面積-順位グラフ

順位最下位(竪穴住居面積最小)は2つの時期ともほとんど同じ値ですが、順位上位の値が倍以上開いていることが大きな特徴になています。
中期末葉~後期中葉集落では前期後葉集落に比べて特別に富める者(*)新たに生まれた様子がわかります。

*面積の大きな竪穴住居を建設できる家族は、それが許されるだけの社会的地位(権力)がある集落リーダー格であり、実際に資材や労働力を確保できるだけの経済力が伴っていたと考えます。現代社会風に一言で言えば「富める者」であったと考えます。

この様子を統計で詳しくみると次のようになります。

大膳野南貝塚 時期別竪穴住居面積

前期後葉集落に比べて中期末葉~後期中葉集落の最大値が倍以上になったにも関わらず、最小値の値と平均値の値があまり変化していないのが特徴です。

大膳野南貝塚 時期別 竪穴住居面積別の割合

面積規模別にみると2つの時期の特徴が明白になります。
竪穴住居祉面積10㎡台以下と20㎡台についてみると中期末葉~後期中葉集落の方がその割合が多くなっています。
一方30㎡台の割合は中期末葉~後期中葉集落は前期後葉集落の半分になっています。
そして40㎡台~70㎡台の大型竪穴住居祉が中期末葉~後期中葉集落に新たに生まれています。

一言でいうと、前期後葉集落と比べて中期末葉~後期中葉集落は竪穴住居面積の格差が大幅に拡大したことになります。
現代社会風に言えば、富める者はますます富み、貧しい者はますます貧しくなり、中間層が少なくなったという事態発生です。
(「ますます富み、ますます貧しくなり」という表現は、前期後葉集落と中期末葉~後期中葉集落は断絶していますから、同じ社会の変化ではなく、時代の変化を述べています。)

竪穴住居面積から見る限り、中期末葉~後期中葉集落はそれ以前と比べて格差拡大社会であると結論付けることができます。


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