2017年12月17日日曜日

甕被り葬廃屋墓

大膳野南貝塚 廃屋墓の機能不明柱穴の検討 9

大膳野南貝塚堀之内1式期廃屋墓の機能不明柱穴の検討を竪穴住居毎に順次しています。

9 堀之内1式期 J18竪穴住居
9-1 特徴
J18竪穴住居から人骨が2体出土し、1体は住居中央漆喰炉に重複する甕被り伸展葬人骨で8~9才の小児骨、もう1体は住居北東隅の伸展葬人骨で壮年女性です。
ともに床面から出土し、破砕貝混土に覆われています。
土器・石器が中テン箱1箱分と種不明獣骨9点が出土しています。

J18竪穴住居の位置

J18竪穴住居 柱穴分布

J18竪穴住居 人骨の状況

9-2 検討
9-2-1 埋葬の様子
甕被り幼児人骨が竪穴住居中央に存在するので、例えば集落リーダー格人物の子どもが死亡して集落全体で手厚く葬った様子が推察できます。
J18竪穴住居は幼児が死亡した時すでに廃絶竪穴住居であった(空家であった)と考えることができます。
従ってJ18竪穴住居にはそこに住んでいた住民ではない、別の場所に住んでいた幼児が埋葬されたことになり、空家が墓として転用されたことがほぼ確実な例として捉えることができると考えます。
幼児はこの場所でモガリが行われ(ミイラ化して)、その後混破砕貝土で埋葬されたと考えます。
モガリが別の場所で行われた壮年女性の遺体(ミイラ)も幼児埋葬の際にこの竪穴住居に持ち込まれ、一緒に埋葬されたと想像します。
壮年女性人骨の位置が住居の端であり幼児と比べぞんざいな扱いを受けていたと推察します。壮年女性人骨の両手が背中後ろに廻っていたという状況は女性遺体を持ち込んだときの扱いが丁寧でなかった様子を表現していると考えます。埋葬直前ですから建物は当然ながら存在しません。そのとき、壁の上からドサリと遺体(ミイラ)を落としたのかもしれません。
人骨は破砕貝を含む土層で覆われています。漆喰炉や漆喰床を使っていた集団ですから、破砕貝を土に混ぜれば土がシッカリと固まることを知っていて、特製の埋葬土を作って埋葬したもとの考えます。
J74竪穴住居では人骨が純貝層で覆われていましたので、それとJ18竪穴住居の例を比較すると、J18竪穴住居埋葬の方が簡便な方法であると言えます。
竪穴住居を全部純貝層で覆うために必要な貝殻準備と混貝土つくりではその労力や時間に雲泥の差が生れます。
おそらく埋葬対象の社会ランクの違いや人数の違いが純貝層で埋葬するか、混貝土で埋葬するかの違いを分けたと想像します。

人骨出土状況 大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用

9-2-2 機能不明柱穴の検討
壁柱線の内部に位置する機能不明柱穴が建物を支える構造補助柱にすぎないのか、それとも祭祀性のある柱(祭壇)であるのか不明です。
ただ、甕被り人骨が機能不明柱穴を結んだ線をまたいでいるので、この柱穴に祭祀性があったとしてもそれは竪穴住居がつかわれていた時につくられたものであり、甕被り人骨の遺体が置かれた時に設置されたと考えることには抵抗が生れます。

J18竪穴住居 機能不明柱穴の検討
張出部中央にある機能不明柱穴は建物のシンボルとなるような位置にありますから、また出入りの実用性を損ないますから、何らかの祭祀性があったものと想像します。建物と一緒に存在していたと考えます。

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