2017年12月26日火曜日

殯(モガリ)におけるミイラ作成

大膳野南貝塚 廃屋墓の機能不明柱穴の検討 17

2017.12.21記事「大膳野南貝塚 廃屋墓の機能不明柱穴の検討 まとめ」の中でピックアップした人骨齧痕の意味について考察します。

1 人骨齧痕の記載と統計
人骨齧痕の記載と一覧表を示します。

齧歯類齧痕の記述例
大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用

大膳野南貝塚出土人骨 齧歯類の齧痕
大膳野南貝塚発掘調査報告書から作成

竪穴住居出土人骨のうち周産期~3歳・小児のものを除く16事例のうち齧痕のあるものは13事例であり8割を越えます。
発掘調査報告書ではこの事情について次のように検討しています。
「保存状態の良好な住居祉人骨の出土状況を確認したところ、いずれも解剖学的に自然な位置を保持していたことから一次葬と判断されたが、それらの関節で看取された小規模な骨の移動や骨体に残された齧歯類の齧痕から、死後白骨化するまで遺体の周囲に空隙が存在したか、あるいは遺体の覆土が薄かったと推察された。」

2 人骨齧痕の意味
発掘調査報告書の検討では埋葬後の空隙の存在とか薄い覆土という特殊的な状況を想定していますが、8割を超える人骨に齧痕があることから齧痕ができる状況が一般的状況であったと推察できます。
サハリンアイヌの習俗等から縄文時代に殯(モガリ)におけるミイラ作成が埋葬前に存在していたと考えることが合理的です。
遺体は殯小屋(おそらく居住住居とは別の空家)で長期(1年以上)にわたってミイラとなり(あるいは腐って白骨化し)、その間に齧歯類に食われ、骨に齧痕がついたものと考えます。
殯がおわるとミイラはその場で埋葬されたり、別の空家に集められて合同の埋葬がおこなわれたりしたものと想定します。

J40竪穴住居 竪穴住居から人骨1体出土
大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用

J40竪穴住居が殯小屋であり、かつ埋葬の場でもあったと想像します。

J74竪穴住居 竪穴住居から人骨7体出土
大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用

死亡時期が異なり別の場所で殯がおこなわれたミイラも含めて遺体6体がJ74竪穴住居に集められて合同埋葬され、覆土層の途中にも別の1体が埋葬されたと想像します。

なお人骨79号住は覆土中層から出土していますが齧痕があります。
遺体が覆土中層に埋葬された後、人骨がネズミに齧られるという状況を想定することはほとんど不可能です。従ってこの例は覆土中層に埋葬された遺体がすでにネズミに齧られたミイラであったことを物語っています。つまり別の場所にある殯小屋で殯が行われ、最後の埋葬がJ79竪穴住居でおこなわれたと考えることができます。

J79竪穴住居 人骨の状況





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