2017年12月13日水曜日

多くが女性の人骨7体出土縄文廃屋墓 追考

大膳野南貝塚 廃屋墓の機能不明柱穴の検討 6

大膳野南貝塚堀之内1式期の廃屋墓の機能不明柱穴の検討をしています。
この記事は2017.12.12記事「人骨7体出土縄文時代後期廃屋墓」の続きです。

6 J74竪穴住居とJ105竪穴住居の関係
6-1 建物の関係
J74竪穴住居はJ105竪穴住居の跡に作られています。
その敷地関係は単なる偶然とは思えない様相を呈しています。

J74竪穴住居とJ105竪穴住居の関係

J74竪穴住居とJ105竪穴住居 大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用

J74竪穴住居はJ105竪穴住居の敷地内に完全に内包されていることが観察できます。
従って、J74竪穴住居と記述していますが、厳密にはJ74住居は竪穴ではありません。
J105竪穴住居は廃絶後焼却され床面に厚く焼土が分布していますが、その焼土の上にJ74竪穴住居の床面が形成されています。
またJ105とJ74の長軸方向は略一致します。さらに張出部の位置も同じ場所であると考えられます。
出土土器からJ105とJ74はともに堀之内1式期です。
これらの状況からJ74竪穴住居がたてられたとき、その場所がJ105竪穴住居廃絶祭祀跡の場所であることを十分承知して、つまり意識してわざとその中におさまるように竪穴を掘らない小住居を立てたことが推察できます。

6-2 人間関係の想像
J105竪穴住居から鯨骨製骨刀が出土しています。

J105竪穴住居出土鯨骨製骨刀 大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用
この骨刀出土はこの住居主人の持ち物で、その主人が死亡したときJ105竪穴住居の廃絶祭祀でこの住居に納められたと考えるならば、この住居の主人は集落のリーダー格であったと考えることができます。

リーダー格主人が死亡し、その住居を廃絶して燃やし、その跡に小さなJ74住居を作ったことになります。
そして、その小さな住居は住居内に補助柱が沢山あったのですから粗末なつくりであったと考えます。3回ほど建て替えをしている様子はその家の構造が粗末であるからそうせざるをえなかっと考えます。そしてさらに粗末な家構造は、集落がその家を頑丈につくることを許さなかったからだと考えます。

このように考えると(想像すると)、集落のリーダー格主人が死亡し、住居は燃やして廃絶し、その敷地内に粗末な小屋を建てて主人の妻(寡婦)が住んだのではないだろうかと想像します。
妻は主人の死亡に関連して殉死することは免れ、粗末な小屋を作って生きることが許されたのだと思います。
サハリンアイヌでは主人が死ぬと妻が亡骸を1年かけてミイラにし、ミイラが完成すると褒美をもらって生きることを許され、亡骸が腐ってミイラにならないと殉死させられたそうです。(瀬川拓郎「アイヌと縄文」(ちくま新書)による)

殉死を免れたリーダー格主人の妻(寡婦)が死亡すると、その小屋がモガリ小屋となり、最後には集落の別の女性や子どもの亡骸(モガリが行われて既にミイラとなったもの)も運びこまれ、ある時集落全員で純貝層で6体(追加してさらに1体)の亡骸(ミイラ)を埋葬したのだと想像します。
小屋は粗末ですが、集落女性世界では地位の高い女性の小屋ですから、その場所が集落女性陣の埋葬の場となったと想像します。

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