2017年12月8日金曜日

北方向を意識した縄文時代後期廃屋墓

大膳野南貝塚 廃屋墓の機能不明柱穴の検討 3

この記事から、後期集落のピーク時期(爆発的に発展して次期には衰退してしまう時期)である堀之内1式期の廃屋墓の機能不明柱穴の検討を始めます。

3 堀之内1式期 J67竪穴住居
3-1 特徴
近代道路工事の影響で削平され残存部は硬化していますが、帯状の混土貝層が残され、人骨が4体検出されています。

J67竪穴住居の位置

人骨は頭を東に向けて東西方向に並べられているように観察できます。

人骨の状況 1

人骨の状況 2

遺体が東西方向に並べられたことが偶然であるか、意図されたものであるか、今後多くの事例を知るプロセスの中で学習を深めることにしますが、この記事では東西方向に着目します。

人骨1と2は床面直上から人骨3と4は床面から10㎝高い覆土層から出土しているので、人骨1と2の遺体が置かれてから人骨3と4の遺体が置かれるまでの間に時間差があったことが確認できます。この竪穴住居は廃絶後墓として継続して使われたことが判ります。

3-2 検討
発掘調査報告書ではその機能の説明の無い柱穴が6カ所あります。

J67竪穴住居 廃屋墓

遺体が東西方向に並べられ、遺体直ぐ北側に3本の機能不明柱穴が存在することから、これまでに機能不明柱穴は送り場(墓)の祭壇柱であると推定する検討を行ってきています。

J67竪穴住居 送り場の様子推測

2017.07.22記事「竪穴住居の送り場利用は建物廃滅後」参照

J67竪穴住居 送り場イメージ

2017.07.23記事「竪穴住居跡送り場のイメージ」参照

J67竪穴住居は集落主部(北貝層、南貝層のそれぞれ東側)から離れていることから、また出土物(お供え物)の程度から、その利用者は集落一般層(非リーダー層)の者であったと推察します。

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