2017年12月12日火曜日

人骨7体出土縄文時代後期廃屋墓

大膳野南貝塚 廃屋墓の機能不明柱穴の検討 5

大膳野南貝塚堀之内1式期の廃屋墓の機能不明柱穴の検討をしています。

5 堀之内1式期 J74竪穴住居
5-1 特徴
J74竪穴住居はJ105竪穴住居を切って重複してつくられ、柱穴の分布から古段階、中段階、新段階の3段階にわたって建て替えられています。
床面付近から6体の人骨が、覆土層から1体の人骨が出土しています。
炉は漆喰炉で人骨は純貝層で覆われています。

J74竪穴住居の位置

J74竪穴住居 柱穴分布
古段階張出部柱穴は中段階張出部柱穴と重複すると考えられています。(発掘調査報告書)

人骨の状況
人骨の推定(発掘調査報告書)
1号人骨:壮年期女性
2号人骨:熟年期~老年期女性、右上顎側切歯が抜歯
3号人骨:性別不明3歳前後幼児骨
4号人骨:熟年期女性
5号人骨:青年期男性
6号人骨:壮年期前半女性
番外人骨:壮年~熟年女性頭骨片(覆土内出土)

人骨の状況 大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用

5-2 検討
5-2-1 人骨埋葬状況
人骨出土付近の土層断面の詳細を発掘調査報告書を詳しく分析して把握してい見ました。

人骨出土付近土層断面情報
3号・4号人骨及び5号・6号人骨出土付近は土層断面図があり土層の状況を把握することができました。
この把握結果を模式的に示すと次のようになります。

人骨出土付近の土層
1号・2号人骨は床面直上から出土し、純貝層に覆われている様子が観察(想定)できます。J74竪穴住居が廃絶して間もない時期の埋葬であるのかもしれません。発掘調査報告書では1号と2号の時間差はほとんどないと想定しています。
3号・4号人骨は混貝土層の堆積の上から出土し、純貝層に覆われている様子が観察(想定)できます。混貝土層は人為的に撒かれたと想定します。J74竪穴住居が廃絶して建物が無くなってからの出来事であると想定します。
5号・6号人骨は焼土粒、炭化物を含む土層堆積の上から出土し、純貝層に覆われている様子が観察(想定)できます。焼土粒・炭化物は人為的にこの場で物を燃やした跡ですから建物が無くなってからモノを燃やした、あるは建物を燃やした跡であると考えます。

さて、全ての人骨が純貝層に覆われているのですが、このことから亡骸が置かれたのはほぼ同じ時点であり、6体の遺骸の上に純貝層を一斉に掛けて埋葬が行われたのではないだろうかと想像します。
もし3組の亡骸の埋葬に時間差があり、それぞれの場合で純貝層を撒けばすぐ近くの床面は純貝層に覆われ、後に近くに別の亡骸が置かれた時それは純貝層の上に置かれ、断面的には純貝層中から出土することになります。しかしそうなっていないので3組の埋葬は1回であった可能性を想定できます。
番外人骨は純貝層がすでに存在していた時に埋葬された例であると考えます。

1号~6号人骨亡骸はJ74竪穴住居が廃絶し、その建物が取り払われ(おそらく焼き払われ)た後、あまり時間を置かないで一斉に持ち込まれ一斉に純貝層で覆った(埋葬した)と想像(空想)します。
1号~6号の亡骸の死亡時期や死亡要因は様々であると考えます。それぞれ別の場所で長時間(1~2年程度の)モガリがおこなわれ、亡骸はミイラ化していたと考えます。最後に集落のいろいろな住居に散在しているモガリ対象亡骸(ミイラ)をJ74竪穴住居に集め純貝層で埋葬して、集落として祭祀上の一つの区切りをつけたのではないだろうかと想像します。
7体の人骨のうち5体が女性であることは、家長(男)でない者(妻、子ども、女)の埋葬が集団で行われたという特徴をJ74竪穴住居廃屋墓が表現している可能性があります。

5-2-2 機能不明柱穴について
機能不明柱穴が多数存在しかつそれらのほとんどが2つの柱穴が隣接してペアで存在しているように観察できます。
この観察からJ74竪穴住居の機能不明柱穴の多くは建物の構造補助柱であり、建て替えの時に一緒に付け直されたと想像することができます。
同時に、土層断面図に表現される幾つかの機能不明柱穴は、床面に覆土層が堆積した時には存在していなかったように観察できます。
また、人骨が機能不明柱穴の上にかぶさって存在している場所もいくつかあります。
このような状況からJ74竪穴住居の機能不明柱穴の多くは建物を支える補助柱であったと考えて間違いないと思います。
なお、亡骸埋葬時に機能不明柱穴分布範囲は全て純貝層で覆われたので、その場に立派な祭壇が存在していたとは考えずらいですが、吹き流しなどを飾る背の高い祭祀柱が単独で存在していた可能性はあると想像します。

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