2018年6月11日月曜日

漁場消失による貝塚集落終焉のデータ

2018.06.10記事「大膳野南貝塚後期集落 消長シナリオ」で大膳野南貝塚後期集落の貝塚集落としての終焉は海岸線後退による漁場の消失が主因であると書きましたが、そのデータを示します。
海面分布(海岸線)の資料は「辻誠一郎他(1983):縄文時代以降の植生変化と農耕-村田川流域を例として-、第四紀研究22(3)251-266」を使わさせていただきました。

1 大膳野南貝塚後期集落の漁場

大膳野南貝塚及び近隣貝塚の漁場とルート
大膳野南貝塚の漁場は1付近と推定できます。また漁場までのメインルートは集落の南側谷津を通るルートです。

なお、竪穴住居張出部を分析すると西貝層付近の漆喰貝層有竪穴住居住人の漁場へ向かうルートは西側谷津を通るルートになります。

竪穴住居張出部方向
西側谷津を通るルートは六通貝塚等の漁場に向かうルートであり、南側ルートから向かう大膳野南貝塚本来の漁場が半ば消失した時に近隣集落とのトラブル覚悟で使ったルートであると考えられ、自らの漁場がほとんど無くなった時の末期症状であると想定します。

2 4000年前頃の海面分布
大膳野南貝塚後期集落の年代は次の資料に見られる通り4000年前頃から3750年前頃です。

参考 年代測定結果 

4000年前頃から3750年前頃をはさむ前後の海面分布を地図にプロットしました。

5000年前の海面
この頃は漁場1には海面があります。

3500年前の海面
この頃は漁場1に海はなく陸地になっています。
つまり5000年前から3500年前の間に大膳野南貝塚の漁場が消失したことが判ります。
次に海岸線の後退が一定速度であったと仮定して、案分比例で4000年前と3750年前の海面(海岸線)の位置を推定してみました。

4000年前の海面推定
4000年前の海面は使っている谷津出口付近に丁度存在していますから漁業に利用されていたことを確認できます。
3750年前が後期集落の衰退期頃(堀之内2式期頃)と仮定すると、その頃はこれまでの漁場が陸化して使えなくなっている様子が観察できます。

このように既往資料から大膳野南貝塚後期集落で貝塚形成が終わった頃と占用漁場が消失した時期が略一致しするこを確認できます。

次の集落消長のシナリオ要点をデータで確認することができました。
●ステップ1
ある時期村田川河口湾内に好適な漁場が出現し、それに対応して立地した漁労集落(大膳野南貝塚)が栄えます。
●ステップ2
その後村田川河口湾内の漁場が消滅したため(干潟の位置が沖に移動したため)、固定されている大膳野南貝塚の位置では漁労集落を営む意義が消滅しました。

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参考

6500年前の海面


古墳時代の海面




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