2018年6月25日月曜日

イノシシ形獣面把手の土偶に似た扱い

2018.06.24記事「縄文遺跡出土土器片がほとんど意図的に破壊されている意味」で遺構から出土するほとんどの土器片は定型的再生祈願行為として意図的に破壊投入されたものであることを述べました。
この記事では土器のイノシシ形獣面把手だけはこれとは別の特殊な扱いを受けていることに気が付きましたのでメモしておきます。
大膳野南貝塚ではイノシシ形獣面把手は前期集落からのみ出土しています。

1 イノシシ形獣面把手の出土形状
イノシシ形獣面把手は全部で24例出土してます。その出土形状を示します。

イノシシ形獣面把手出土例(一部) スケッチ
大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用

イノシシ形獣面把手出土例(一部) 写真
大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用
イノシシ形獣面把手の24例は全て把手だけ(イノシシだけ)のかけらです。土器本体の胴部はほとんどついていません。主体が口縁部や頸部や胴部の土器片でそれに把手該当部がついているものは多数出土していますが、そうした形状でイノシシ形獣面把手が付いて出土する例は皆無です。
そしてさらに不思議な現象として、24例全てが包含層、遺構外からの出土です。竪穴住居から出土する土器片は多数になりますが、その中にイノシシ形獣面把手は皆無です。

上記イノシシ形獣面把手スケッチ・写真を見て、私はこれらの把手が意図的にむしり取られた(打ち欠き出された)ものだと直観しました。廃用土器を再生祈願行為として破壊する時、イノシシの像だけは最初に打ち欠いて抽出し、別趣旨の活動アイテムにしたのだと考えました。時代は異なりますが土器の一部を打ち欠き出してそれを撒くという祈願行為(※)の学習をしたことがあるので、なおさらイノシシ形獣面把手だけ抽出して撒いたと直観しました。

2 イノシシ形獣面把手出土分布
イノシシ形獣面把手は全て包含層、遺構外からの出土でその分布は次の通りです。

大膳野南貝塚 前期集落 イノシシ形獣面把手の分布
イノシシ形獣面把手の分布は西の2箇所を別とすると中央部付近と南部付近の2箇所にかたまっていて、それは中央部付近の浮島式土器優勢竪穴住居分布と南部付近の諸磯式土器優勢竪穴住居の分布と対応するように感得できます。つまりイノシシ形獣面把手は竪穴住居生活で使われた土器の獣面把手が竪穴住居付近に撒かれたと想定することができます。

3 イノシシ形獣面把手の土偶に似た扱い
次の事実からイノシシ形獣面把手は土偶に似た扱いを受けていて、イノシシ豊猟祈願祭祀に使われたと想定します。
・イノシシ形獣面把手が土器本体から打ち欠き出されていて、猪像(偶像)だけになっていること。(破壊されていること)
・竪穴住居廃絶に伴う祭祀では全く使われず、全て竪穴住居近くの野外から出土すること。

廃用のイノシシ形獣面把手付土器をめぐって次のようなプロセスでイノシシ豊猟祈願祭祀が行われたものと想定します。
1 イノシシ形獣面把手付土器の廃用
2 イノシシ形獣面把手の打ち欠き
3 廃用土器本体を使った再生祈願祭祀(於 竪穴住居)
4 イノシシ形獣面把手を野外に撒くイノシシ豊猟祈願祭祀

なお、イノシシ形獣面把手付土器は群馬県安中付近を発現地として東日本で流行した諸磯b式土器であることが「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)に詳しく記述されています。
大膳野南貝塚前期集落におけるイノシシ形獣面把手付土器の流行は、その出土数が限られているので短期間で終わったと考えます。


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※ 参考 奈良平安時代開発集落における墨書土器の打ち欠き例
特定の竪穴住居から出土した打ち欠き出された墨書土器「西」
「千葉県八千代市上谷遺跡 (仮称)八千代市カルチャータウン開発事業関連埋蔵文化財調査報告書Ⅱ -第5分冊-」(2005、大成建設株式会社・八千代市遺跡調査会)から引用

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