2018年6月9日土曜日

大膳野南貝塚集落消長と千葉県貝塚変遷の対応

1 「3 集落消長の理由」まとめと追加学習作業
現在、大膳野南貝塚学習の中間とりまとめを行っていて「3 集落消長の理由」まとめに取り組みはじめました。このとりまとめは後期集落を対象にしています。
過去学習の記事をふりかえって学習内容を要約するだけですから、すぐにまとめはできるとタカをくくっていました。
しかし過去記事を読み返すと一般的学習記事がつづき、消長の理由に鋭く切り込む視点が少ししかありません。過去記事をまとめてもあまり面白いまとめにはなりません。
そこで、過去記事読みは止めて、「本当のところ、大膳野南貝塚後期集落はなぜ出現し、なぜ発展し、なぜ衰退したのか」じっくりと考えてみました。昨日丸1日時間を空費しました。すこし焦ります。しかし今朝の散歩中に「このようなストーリーで説明できる。」というアイディアが「向こうから」浮かび上がってきました。自宅に戻って、早速いくつかの情報を調べるとまさにそのストーリー通りになります。
このような事情があり、「3 集落消長の理由」のまとめは単純な過去記事まとめにするのは止めて、多少の追加学習作業を行い、その結果でまとめることにします。

2 「3 集落消長の理由」のまとめ方
大膳野南貝塚が置かれた社会状況からの集落消長理由検討と大膳野南貝塚自身の内部情報の両面から検討しまとめることとします。

3 大膳野南貝塚と千葉県貝塚変遷との略対応
大膳野南貝塚後期集落の消長とは竪穴住居軒数変遷にほかなりません。これと千葉県貝塚変遷との対応関係を検討してみました。

大膳野南貝塚後期集落 竪穴住居軒数変遷と千葉県貝塚変遷との略対応

竪穴住居軒数と貝塚変遷との略対応から、集落消長と縄文社会変動の連動性をみることができます。
大膳野南貝塚後期集落は自分勝手に消長しているのではなく、縄文社会全体の変動の中で自分の役割を演じていることが判りました。
つまり大膳野南貝塚後期集落の消長は地域全体に及ぶ影響要因と関連しているといえます。
その地域全体に及ぶ影響要因を絞り込み、それとの関連で大膳野南貝塚の具体データを分析することにします。

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参考 縄文時代の時期区分
「千葉県の歴史 資料編 考古4(遺跡・遺構・遺物)」(千葉県発行)から引用


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