2021年12月15日水曜日

認知考古学の意義について気が付く cognitive archeology

 Be aware of the significance of cognitive archeology


By reading "The First Archeology" by Takehiko Matsuki ((Chikuma Primer New Book), I can now understand the significance of "cognitive archeology" that I had not understood before at an intuitive level. Both Jomon people and modern people can understand it. It is a method of observing relics using the principle of having the same feelings.


松木武彦「はじめての考古学」(ちくまプリマー新書)を通読して最初のメモを作りました。

ブログ芋づる式読書のメモ2021.12.14記事「松木武彦「はじめての考古学」(ちくまプリマー新書)

その後、噛んでいるスルメの味が美味しくなるように、徐々にこの図書の意義の大きさについて気が付き出しました。この記事では認知考古学の意義について初めて気が付きましたのでメモします。

1 認知考古学に最初に触れた時の印象

思い出すと、2021年1月のNHKのBSTV番組「英雄たちの選択 古代人のこころを発掘せよ」で松本直子さんの縄文土偶に関する心理実験の紹介がありました。

外国人留学生を対象に土偶の顔について感想を聞き、中期土偶は女性的であり、子どもに近くかわいい印象である、後期以降の土偶は男性的であり、大人びた印象だというような結論が紹介されていました。

その時はこの認知考古学と銘打った心理実験の意義について判りませんでした。むしろあまり意味がないような印象でがっかりしました。自分も50年近く前になりますが、風景に関する心理実験をおこないある工学系学会で発表したことがあります。その時の体験から、松本直子さんの心理実験の様子はよく理解できるつもりですが、考古学的意義が理解できませんでした。


土偶の変化

松木武彦「はじめての考古学」(ちくまプリマー新書)から引用

2 認知考古学の意義が判った瞬間

「松木武彦「はじめての考古学」(ちくまプリマー新書)」を読んでいる中で次の文章にぶちあたりました。

「縄文時代の人も現代人も、同じホモ・サピエンスなので、脳や身体の生得的機能は共通しています。正確に言うと、遺伝子レベルでは「進化」しているのですが、たかだか一万年程度では、遺伝子レベルの変化は、形質(目に見える心や身体の特徴)には表れません。パソコンでいうとまつたく同じ機種です。ですから、顔の表情の認知(泣いているか笑つているか、喜んでいるか悲しんでいるか、などの感情の読み取り)も、縄文人と現代人はまつたく同じです。また、現代人でも民族を超えてまつたく同じです。日本人の悲しい表情がアフリカ人には楽しい表情、などということはありえません。あつたら、円滑な国際交流などはできないでしよう。」

この文章を読んで、「そうだったのか、顔表情認知は縄文人も現代人類もおなじだから、現代人類が読み取る顔面遺物の表情は、それを作った縄文人が表現しようとする表情と同じだといえるのだ。」と直観的に判りました。松本直子さん業績の紹介はその原理説明だったのだと理解できました。

早速「認知考古学」で調べてみると沢山の専門書が出版されていることを知りました。

3 認知考古学原理の理解

今後「認知考古学」関連図書を入手して認知考古学学習を深めたい思いますが、まず松木武彦「はじめての考古学」(ちくまプリマー新書)を読んだだけの情報で自分の理解をまとめておきます。今後の学習遍歴記録とするためです。


(専門書を読む前の)認知考古学原理の理解

4 問題意識

4-1 土偶と土版の意義の違いが認知考古学でわかる?

縄文晩期前葉の人面付土版(千葉市内野第1遺跡)(千葉市埋蔵文化財調査センター所蔵)を認知考古学の観点で観察すれば、縄文人は顔面を可愛く(幼く)表現していると考えられます。一方、後晩期土偶は松本直子さん実験により「怒り」「嫌悪」「男性的」であると理解されます。つまり土偶と土版の評価が正反対になります。この結果から、土偶と土版は顔面をふくむという共通点があるにもかかわらず、その機能や利用法が異なることが推定できます。土偶は壊され、土版は完形が多いということも土偶と土版の違いを浮彫にします。

4-2 本能レベルの感情と文化レベルの感情

本能に直結するような感情(女性的、男性的、悲しみ、驚き・・・)は確かに縄文人も現代人類も同じだと直観できます。しかし、文化に関連する感情(死生に関する感情、性(生殖)に関する感情、神(自然)に関する感情、食料や財物に関する感情・・・)は時代によって大きく異なってくることは当然です。そうした状況の中で、認知考古学がどのような方法で自らの有用性を確立しようとしているのか、詳しく知りたくなります。


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