2022年7月10日日曜日

考古学講座「環境変動と八ヶ岳山麓の縄文社会」受講

 Participation in archeology course "Environmental change and Jomon society at the foot of Mt. Yatsugatake"


On July 9, 2022, an archeology course "Environmental Change and Jomon Society at the Foot of Mt. Yatsugatake" (Lecturer: Professor Yumi Ikuyama, Hokuto City Board of Education) was held online and attended.

It was a very interesting lecture about the fact that cooling promoted technological development, and it was a great learning stimulus.


2022年7月9日に山梨県立考古博物館令和4年度考古学講座第3回「環境変動と八ヶ岳山麓の縄文社会」(講師:北杜市教育委員会生山優実先生)がオンラインで開催され、受講しました。寒冷化が技術開発を促進したという内容で大変興味深い講演で、大いに学習刺激を受けました。

1 講座の概要

次の3点について詳しいデータを活用しながら判りやすく丁寧に説明し、最後の結論は魅力的なものでした。

1 縄文時代における気候変動

2 縄文時代前期後葉から中期初頭の考古学的事象の変化

3 八ヶ岳山麓に暮らす人々の対応

なお、事前に6ページ資料をダウンロードすることが出来ました。

2 講演で特に興味を持った事柄

講演で自分が特段に興味をもった事柄を羅列的にメモします。

2-1 講演の趣旨と結論

講演の趣旨と結論は次のように理解しました。魅力的な結論です。

5800年前頃に寒冷化があり、自然環境が変化し(狩猟動物が少なくなり)、それに対応して中部高地縄文社会では衰退的地域と発展的地域に分化した。発展的地域では自然環境変動に対応して植物資源管理(いわば農耕のはじまりのような技術開発)が行われた。この植物資源管理は周辺地域に波及してその後の中期社会発展の基礎となった。この歴史から、環境変化(寒冷化)が単に社会衰退をもたらすのではなく、逆に社会を刺激して発展の契機になる。

2-2 縄文中期前半頃の中部高地社会の地域消長

環境変動と社会の対応という点ではいくつかの疑問(より深く巨大な興味)があるので、それはひとまず脇においておき、興味が率直に深まったのは中部高地社会の地域分化的消長です。

講演内容をざっくり次のように理解しました。


地域区分


年代 配布資料から引用

・遺跡数、住居址数をみると、寒冷化のピーク頃(諸磯b)は諏訪地域と西麓地域は減少傾向であった。一方東南麓地域は大幅な増加傾向であった。特に2八ヶ岳南麓地区が顕著である。

・石器組成をみると各地域ともに石鏃割合大・打製石斧割合小(狩猟中心社会)から石鏃割合小・打製石斧割合大(採集中心社会)に転じている。しかし、その転換期が東南麓地域では人口増加した諸磯bであるのに対して、諏訪地域と西麓地域では遅れて諸磯cであった。

・以上のデータから諸磯b期頃は環境変動に対して適応できない地域(諏訪地域、西麓地域)と適応できた地域(東南麓地域、とりわけ2八ヶ岳南麓地区)があった。その後環境適応技術は諏訪地域や西麓地域にも波及したといえる。

・環境適応技術とは打製石斧に消長される植物採集・栽培技術である。堅果類増産技術とそれに関連して副産物的に生まれたマメ栽培技術である。

2-2 5800年前頃の気候変動

講演では5800年前(諸磯b)の寒冷化を示す資料として野尻湖湖底堆積物分析データが提示されました。講演でも質問が出ましたが、このデータについてモヤモヤした感想が生まれます。

提示された年平均気温データの数値をillustratorの計測機能を使って読み取ると次のようになります。


年平均気温の変化 配布資料から引用追記

ア 気温低下時期

グラフ上の気温低下は6200年前頃です。その後4970年頃まで横這いです。5800年前頃気温低下があったという議論とは400年のズレがあります。400年くらいのズレは考古学では誤差の内と考えてもよいと思いますが、講演者の最初の「最近では年単位での把握も夢ではない」などのグリーンランドや年縞堆積物の話とは平仄の違いを感じます。

イ 年平均気温1.2度低下の意味

5800年前の年平均気温低下は(グラフ計測上では)1.2度です。気温低下1.2度で様々な環境変化が生まれ、縄文社会がそれに対応して行くということは一般論では理解できます。しかし、現代気候変動における年平均気温変化の影響を考えると、1.2度低下のインパクトが狩猟中心社会が成り立たなくなって、植物管理社会に移行する程のものであるかどうか疑問が生まれます。

2-3 マメの栽培

土器圧痕レプリカ法でマメの栽培が判明してきたというお話は大変興味深く、これから学習すべき重要課題であると感じました。先日山梨県立考古博物館を観覧した際に、売店で次の図書を購入したのですが、購入入手自体を失念していたことを思い出し、みつけてページをめくってみました。


中山誠二著「マメと縄文人」

マメ栽培は縄文中期社会にどのような意義があったのか、その技術は中部高地オリジナルか、その技術は各地に伝播したのか、その生産技術と土器文様に関係があるのかなど疑問・興味が膨らみます。

次の山梨県立考古博物館考古学講座「百年の論争 縄文農耕論の今」(7月23日)が楽しみです。

3 感想

寒冷化と考古事象の関係というテーマは自分にとって刺激的なものです。数年前からの学習で次のような感想をもっているからです。

・寒冷化データは実はまだ十分に解析されていない。

・それにもかかわらず考古事象と寒冷化データを強引に結びつけようとする動きがある。

・その動きをみると考古事象と寒冷化データを強引に予定調和的に対応させているように感じる。

今回講演で大いに刺激を受けましたので、学習を加速したいと思います。


詳しい情報を判りやすく丁寧に解説していただいた生山優実先生に感謝申し上げます。


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