2023年1月30日月曜日

松本清張「天保図録」に登場する化灯土対策としての「流堀り工法」

 花見川よもやま話 第7話


"Method of sinking and digging" as a countermeasure against peat soil that appears in Seicho Matsumoto's "Tenpo Zuroku"


Seicho Matsumoto's "Tenpo Zuroku" introduces the "Method of sinking and digging" as the most difficult countermeasure against the peat soil in the Inbanuma moat construction. Toyo Kurihara analyzes and examines this novel in his 1972 book Inbanuma Development History, which is interesting, so I made a note of it.


松本清張「天保図録」に印旛沼堀割普請における最難関の化灯土対策として「流堀り工法」が登場します。この小説について栗原東洋が「印旛沼開発史」(1972年)のなかで分析検討していて興味深いので、その様子をメモしました。

なお、この記事は2011.03.28記事「松本清張「天保図録」に登場する秘法「流堀り工法」」の再掲です。


松本清張「天保図録」(上、下)と栗原東洋「印旛沼開発史」(第1部上巻)

以前の記事でも書きましたが、WEB経由での格安古書購入が、私の最近の癖になっています。「印旛沼開発史」(全4巻、栗原東洋著)、「印旛沼開発工事誌」(水資源開発公団印旛沼建設所)などが手に入りました。北海道や名古屋の古書店から申し訳ないような値段で入手できました。花見川のことを考える上で基本図書ですから手元においていつでも見れるようできました。

 いつぞやにはこれらの本を解体、スキャンして透明テキスト付きpdfにして、パソコンの中で検索しながら利用できるようにしたいです。しかし、そうする時間がもったいないので、当面紙の本で使うしかありません。

 さて、「印旛沼開発史」(栗原東洋著)のページをめくっていると天保工事の記述の中に「流し堀工法と御普請方秘伝という説」という項目があります。この中で、松本清張「天保図録」の記述が引用され、検討されています。興味を持ちましたので、古書購入サーフィンよろしく、WEB経由で松本清張全集27巻「天保図録 上」、28巻「天保図録 下」(文芸春秋社)を購入してみました。

 松本清張「天保図録」は昭和37年から昭和39年にかけての3年間週刊朝日に連載された天保改革を主題にした長編歴史小説です。あとがきで著者みずから「だいたい、史実に沿って書いてきた」と述べています。史実と違う部分を自ら指摘して「あえて考証家の指摘に備えておく」と書いているほどです。

 小説の後半で、天保改革を主導した老中首座の水野忠邦によって開始された印旛沼開鑿(かいさく)が舞台となります。

 印旛沼開鑿の終盤で、目付鳥居耀蔵が大和田あたりから花島観音まで、雨中の氾濫工事現場を視察します。工事の失敗が明白となっている現場です。鳥居は、その結果をわざと隠して、工事が順調であるように老中水野忠邦に報告します。鳥居の魂胆は水野がこの工事を続けて工事の失敗を確実なものにすることにあったのです。鳥居の楽観的な報告に疑問を持った水野が別の正確な報告をした者と対決させる場面があります。ここで鳥居が、難渋している化灯土対策として、御普請方の秘事として伝えられている関東流の「流堀り」工法を使えば、工事は順調に進むと述べます。それで対決に勝利します。

 「流堀り」工法とは、人力ではなく、洪水の流水パワーを利用して土砂(ここでは化灯土)を掘削流下させる工法です。

 結果、水野は失脚していき、鳥居の裏切り、保身が一時成功します。小説はそのように続いていきます。

 松本清張は、鳥居が「流堀り」工法を知った根拠として、鳥居の関係する印旛沼開鑿関係技術者が幕府の書庫から享保普請の際の地元庄屋の上申書を見つけ、その中に化灯土対策として「流堀り」工法の具申があったとしています。(その上申書の内容はその後関東流工法の中に組みいられ御普請方の秘事となったとも書いています。)

 この小説を栗原東洋は「印旛沼開発史」の中で詳しく取り上げています。そして、小説だからしかたがないが、出典を明らかにしていないのでそのまま鵜呑みにできない、しかし「いかにもありそうなこと」であるとしています。

 これに加えて、栗原東洋は天保工事の第三工区(第三の手)の現場監督の1人であった新津順次郎が工事中止後、工事再開を求めた意見書を提出し、その中で化灯土対策として「流堀り」工法を提案していることを紹介しています。そのときの具体的工法は、単に水勢を利用するだけでなく、堰上げの方法で人為的に洪水を起こす方法であることが記述されています。

 なお、松本清張の「天保図録」は花見川の現場を視察してこの小説を書いただけあって、大和田から花島付近までの地物の記述は、よく特徴をつかんでいるように思いました。特に、柏井村付近を鳥居が通る際、竹薮の場面を書いていますが、別の記事(花見川上流紀行17竹林その1)で書いたとおり、柏井付近の竹林はこの付近特有の文化景観ですから松本清張の土地を見る目の鋭さに感心しました。

 また、水資源開発公団の方からいろいろ説明を受けて、その情報を小説の中で開陳していると想像させるような場面もあり、興味をそそられました。


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