縄文土器学習 266
千葉市あすみが丘プラザ展示室に展示されている縄文土器の3Dモデルを作成しました。この展示室は野外の光を全面的に取り入れているロビーに隣接していて、展示ショーケースガラス面に野外光が反射して写ってしまいます。そのため3Dモデル土器表面にガラス反射面光景が焼き付いているなど難点の多い3Dモデルとなりました。
1 3Dモデル作成に利用した写真
3Dモデル作成に利用した写真(一部)
3Dモデル作成に利用した写真(反射光の強いものの例)
2 3Dモデル
3Dモデル作成画面
ガラス反射面光景が土器表面に焼き付いている様子
実物にはない穴も開いている。
3Dモデル作成画面
土器を上からのぞき込むようなカメラ位置では反射光が生まれないので、土器内部はきれいな3Dモデルとなっている様子
黒浜式土器(千葉市弥三郎第1遺跡)他2点 観察記録3Dモデル
4…関山式土器(千葉市弥三郎第1遺跡)
6…黒浜式土器(千葉市弥三郎第1遺跡)
7…浮島式土器(千葉市文六第1遺跡)
撮影場所:千葉市あすみが丘プラザ展示室
撮影月日:20190826
ガラス面越し撮影のため難点の多い3Dモデルとなっている
3 感想
・ガラス面反射が思いのほか3Dモデルに悪影響を及ぼしています。展示室に隣接するロビーが野外光を全面的に取り入れる建物構造となっているため、その遠方の明るい野外光が展示ショーケースガラス面に強烈に写ってしまうためです。
・難点の多い3Dモデルですが、土器学習入門者(=自分)の学習資料としては大変有用であると考え、有効活用することにします。
・「作品」的価値からこの3Dモデルを評価することは意味のないことであると考えます。
・難点が多いといってもこの3Dモデルと一緒に元写真27枚があり、それは3Dモデルとは独立した貴重な情報源です。
・この3Dモデルを3つの土器それぞれに分解して個別3Dモデルにします。個別土器3Dモデルが貯まった段階で整理作業を予定します。
2019年10月9日水曜日
2019年7月25日木曜日
諸磯式土器と浮島式土器の分布
縄文土器学習 211
縄文土器形式毎にその出土遺跡の千葉県分布図を作成しています。この記事では前期後葉の諸磯式土器と浮島式土器の分布を観察します。諸磯式土器と浮島式土器は同時併行して空間がオーバーラップして分布しますので一緒に考察します。
1 千葉県 諸磯式土器出土遺跡分布図
千葉県 諸磯式土器出土遺跡分布図
269遺跡がプロットされています。松戸市川付近、千葉市付近に集中分布する様相と、千葉県南東部夷隅川流域付近に散在する様相が特徴的であるように感じます。
千葉県 諸磯式土器出土遺跡分布ヒートマップ
松戸市川付近、千葉市付近に遺跡密集域が現れます。
2 諸磯式土器の細分情報
千葉県 諸磯式土器出土遺跡 細分情報の有無
細分情報のある遺跡は全体の38%です。
千葉県 諸磯式土器細分情報別出土遺跡数
諸磯a式から諸磯b式に増加し諸磯c式で急減するパターンを描きます。
3 千葉県 浮島式土器出土遺跡分布図
千葉県 浮島式土器出土遺跡分布図
浮島式土器は諸磯式土器と時間的に併行して、かつ空間分布的にも重複してしています。
諸磯式土器分布と較べると県北東部にも遺跡密集が見られることと夷隅川流域など県南東部にはほとんど分布しない特性が観察できます。
千葉県 浮島式土器出土遺跡分布ヒートマップ
遺跡集中域だけでなく香取の海沿岸の県北東部に遺跡集中域が現れるのが大きな特徴です。
4 浮島式土器の細分情報
千葉県 浮島式土器出土遺跡 細分情報の有無
千葉県 浮島式土器細分情報別出土遺跡数
5 参考 前期後葉の貝塚分布とその記述 「千葉県の歴史 資料編考古4(遺跡・遺構・遺物)」引用
次の図は「千葉県の歴史 資料編考古4(遺跡・遺構・遺物)」掲載図から前期後葉貝塚だけを抽出したものです。
Ⅲd期(前期後葉)貝塚分布図
●図書の記述
Ⅲd期(前期後葉)は、前時期の主要な貝塚が継続する。
Ⅲd期には奥東京湾沿岸の貝塚数が激減する。
2017.02.15記事「千葉県の貝塚学習 縄文時代前期初頭~中期前葉」
6 メモ
・黒浜式土器の後継土器が諸磯式土器のような感じがします。土器形式的にそういう関係があるかという問題とともに、その二つの土器形式を継続して使った人集団が同じ母集団を成していると直観します。このような直観が正しいかどうか今後の学習で確かめることにします。
・諸磯式土器と浮島式土器の分布が異なり、浮島式土器の分布が県東北部に濃く、県南東部に到達していないような印象を受けます。このような分布印象から諸磯式土器利用集団と浮島式土器利用集団は出自が異なる異系統の2集団であると考えます。浮島式土器利用集団は茨城方面から下総台地に移住してきたような印象をうけます。このような考えが正確なものであるかどうか、今後の学習で確かめることにします。
・過去に行った大膳野南貝塚前期集落学習では同一集落内に諸磯式土器がメインに出土する竪穴住居と浮島式土器がメインに出土する竪穴住居が空間的に分離して存在することから、出自を異にする異集団が共同して1つの集落を構成していたと考えました。
大膳野南貝塚 前期後葉 竪穴住居祉 主体別土器形式分布
2017.04.11記事「大膳野南貝塚 前期後葉集落 浮島諸磯別石器出土状況」など多数
在地の諸磯式土器利用集団と北から南下してきた浮島式土器利用集団(流入集団)が共同して一つの集落を形成して協力関係を持っていた状況が大膳野南貝塚の事例で見て取れると考えました。(浮島式土器が主体の竪穴住居の一つは意図的に諸磯式土器を排除したような形跡が見られることから、二つの異集団が協働しつつお互いに緊張感のある独自性を堅持していたことが考えられます。)
・なぜ浮島式土器利用集団が南下したのか、その理由は茨城県の情報を利用するなどして是非とも知らなければなりません。香取の海奥部の貝塚が消滅して(生業の場が海退で縮小して)食い扶持にあぶれた人々が下総台地を目指したのかもしれません。
次の記事で諸磯土器出土遺跡と浮島式土器出土遺跡の関係を考察します。
7 参考 千葉県縄文土器形式別等出土遺跡数
千葉県縄文土器形式別等出土遺跡数
縄文土器形式毎にその出土遺跡の千葉県分布図を作成しています。この記事では前期後葉の諸磯式土器と浮島式土器の分布を観察します。諸磯式土器と浮島式土器は同時併行して空間がオーバーラップして分布しますので一緒に考察します。
1 千葉県 諸磯式土器出土遺跡分布図
千葉県 諸磯式土器出土遺跡分布図
269遺跡がプロットされています。松戸市川付近、千葉市付近に集中分布する様相と、千葉県南東部夷隅川流域付近に散在する様相が特徴的であるように感じます。
千葉県 諸磯式土器出土遺跡分布ヒートマップ
松戸市川付近、千葉市付近に遺跡密集域が現れます。
2 諸磯式土器の細分情報
千葉県 諸磯式土器出土遺跡 細分情報の有無
細分情報のある遺跡は全体の38%です。
千葉県 諸磯式土器細分情報別出土遺跡数
諸磯a式から諸磯b式に増加し諸磯c式で急減するパターンを描きます。
3 千葉県 浮島式土器出土遺跡分布図
千葉県 浮島式土器出土遺跡分布図
浮島式土器は諸磯式土器と時間的に併行して、かつ空間分布的にも重複してしています。
諸磯式土器分布と較べると県北東部にも遺跡密集が見られることと夷隅川流域など県南東部にはほとんど分布しない特性が観察できます。
千葉県 浮島式土器出土遺跡分布ヒートマップ
遺跡集中域だけでなく香取の海沿岸の県北東部に遺跡集中域が現れるのが大きな特徴です。
4 浮島式土器の細分情報
千葉県 浮島式土器出土遺跡 細分情報の有無
千葉県 浮島式土器細分情報別出土遺跡数
5 参考 前期後葉の貝塚分布とその記述 「千葉県の歴史 資料編考古4(遺跡・遺構・遺物)」引用
次の図は「千葉県の歴史 資料編考古4(遺跡・遺構・遺物)」掲載図から前期後葉貝塚だけを抽出したものです。
Ⅲd期(前期後葉)貝塚分布図
●図書の記述
Ⅲd期(前期後葉)は、前時期の主要な貝塚が継続する。
Ⅲd期には奥東京湾沿岸の貝塚数が激減する。
2017.02.15記事「千葉県の貝塚学習 縄文時代前期初頭~中期前葉」
6 メモ
・黒浜式土器の後継土器が諸磯式土器のような感じがします。土器形式的にそういう関係があるかという問題とともに、その二つの土器形式を継続して使った人集団が同じ母集団を成していると直観します。このような直観が正しいかどうか今後の学習で確かめることにします。
・諸磯式土器と浮島式土器の分布が異なり、浮島式土器の分布が県東北部に濃く、県南東部に到達していないような印象を受けます。このような分布印象から諸磯式土器利用集団と浮島式土器利用集団は出自が異なる異系統の2集団であると考えます。浮島式土器利用集団は茨城方面から下総台地に移住してきたような印象をうけます。このような考えが正確なものであるかどうか、今後の学習で確かめることにします。
・過去に行った大膳野南貝塚前期集落学習では同一集落内に諸磯式土器がメインに出土する竪穴住居と浮島式土器がメインに出土する竪穴住居が空間的に分離して存在することから、出自を異にする異集団が共同して1つの集落を構成していたと考えました。

2017.04.11記事「大膳野南貝塚 前期後葉集落 浮島諸磯別石器出土状況」など多数
在地の諸磯式土器利用集団と北から南下してきた浮島式土器利用集団(流入集団)が共同して一つの集落を形成して協力関係を持っていた状況が大膳野南貝塚の事例で見て取れると考えました。(浮島式土器が主体の竪穴住居の一つは意図的に諸磯式土器を排除したような形跡が見られることから、二つの異集団が協働しつつお互いに緊張感のある独自性を堅持していたことが考えられます。)
・なぜ浮島式土器利用集団が南下したのか、その理由は茨城県の情報を利用するなどして是非とも知らなければなりません。香取の海奥部の貝塚が消滅して(生業の場が海退で縮小して)食い扶持にあぶれた人々が下総台地を目指したのかもしれません。
次の記事で諸磯土器出土遺跡と浮島式土器出土遺跡の関係を考察します。
7 参考 千葉県縄文土器形式別等出土遺跡数
千葉県縄文土器形式別等出土遺跡数
2019年7月1日月曜日
浮島式土器 観察記録3Dモデル
縄文土器学習 169
この記事は2019.05.10記事「浮島式土器 神門遺跡ほか」の追補記事です。
千葉県教育庁文化財課森宮分室展示室に展示されている縄文早期、前期土器の観察記録3Dモデルが出来ましたので、順次掲載し検討を加えています。この記事で千葉県教育庁文化財課森宮分室展示室展示土器(早期・前期土器)全ての3Dモデルを紹介し終わりまし。
1 観察記録3Dモデル
浮島式土器は次のア~エの4点展示されています。
浮島式土器展示の様子
ア、ウ、エは観察記録3Dモデルのリンクページ(「縄文土器3Dモデル素材集」)をしめします。
浮島式土器(ア) 観察記録3Dモデル
浮島式土器(ウ) 観察記録3Dモデル
浮島式土器(エ) 観察記録3Dモデル
この記事は2019.05.10記事「浮島式土器 神門遺跡ほか」の追補記事です。
千葉県教育庁文化財課森宮分室展示室に展示されている縄文早期、前期土器の観察記録3Dモデルが出来ましたので、順次掲載し検討を加えています。この記事で千葉県教育庁文化財課森宮分室展示室展示土器(早期・前期土器)全ての3Dモデルを紹介し終わりまし。
1 観察記録3Dモデル
浮島式土器は次のア~エの4点展示されています。
浮島式土器展示の様子
ア、ウ、エは観察記録3Dモデルのリンクページ(「縄文土器3Dモデル素材集」)をしめします。
浮島式土器(ア) 観察記録3Dモデル
浮島式土器(ウ) 観察記録3Dモデル
浮島式土器(エ) 観察記録3Dモデル
浮島式土器(イ) 毛内遺跡 観察記録3Dモデル
千葉県教育委員会所蔵
撮影場所:千葉県教育庁文化財課森宮分室
撮影月日:2019.05.27
2 口縁部の注口状二次削損
浮島式土器(イ)には注口状の二次的削損部が2箇所あります。
逆台形上に削り取られています。
土器に載せる棒を固定するような機能を想像します。棒から紐でモノをたらし、土器内溶液に浸けたのかもしれません。
2019年5月11日土曜日
浮島式土器出土遺跡の千葉県分布
縄文土器学習 116
2019.05.10記事「浮島式土器 神門遺跡ほか」で観察した浮島式土器が出土する遺跡を私家版千葉県遺跡データベースで検索し、その結果をQGISで分布図にして検討してみました。
なお、浮島式土器はⅠ、Ⅱ、Ⅲ等に細分されていますが、観覧した土器がそのように区分されていないので現状では一括して捉えることにします。細分学習は将来の課題とします。
1 浮島式出土遺跡の千葉県分布
浮島式土器出土遺跡
私家版千葉県遺跡データベースで浮島式を検索すると400レコード(遺跡)がヒットしました。
浮島式土器出土遺跡ヒートマップ
カーネル密度推定による作図であり、色が濃いところほど遺跡密度が高くなっています。
遺跡密度が高いところは大局的にみると次の3箇所になります。
・奥東京湾と古鬼怒湾が近接した付近 A
・都川・村田川河口付近 B
・大須賀川流域・栗山川源流付近 C
浮島式期の前の黒浜式期の分布はAがメインでしたが浮島式期になるとBとCで遺跡密度が高まったと言えます。
2019.05.08記事「黒浜式土器出土遺跡の分布」参照
2 貝塚との関係
浮島式期頃の貝塚分布図が「千葉県の歴史」に掲載されています。
浮島式期頃の貝塚分布図
2017.02.12記事「千葉県の貝塚学習 縄文時代早期中葉」から引用(元資料は「千葉県の歴史 考古4 (遺跡・遺構・遺物)」(千葉県発行))
この貝塚分布図と浮島式土器出土遺跡ヒートマップを原始的操作でオーバーレイしてみました。
浮島式期頃の貝塚分布と遺跡ヒートマップオーバーレイ
A、Bは貝塚集中域と遺跡集中域が分布上明瞭に対応しているように観察できます。
一方、Cは貝塚の明瞭な集中はありません。また貝塚の分布が遺跡集中域の外縁部になっています。
A・BとCは何か違いがあるように感じます。
A・B地域は漁業を重要な生業とした社会をイメージできます。
一方C地域は生業についてあるいは漁業についてA・B地域とは異なる要素・条件があるのか、興味が湧きます。
C地域は貝殻文土器(浮島式土器)出土遺跡が密集します。その場所に貝塚がありません。
将来、発掘調査報告書レベルで詳しく情報を吟味することにします。
3 参考 観察土器の出土遺跡
3-1 千葉市神門遺跡
神門遺跡
海浜部にある貝塚でイルカ解体作業場などが出土しています。
神門遺跡出土浮島式土器
貝殻文が観察できます。
3-2 香取市毛内遺跡
毛内遺跡
周辺に貝塚がありません。(「千葉県の歴史」による。)
毛内遺跡出土浮島式土器
貝殻文が観察できます。
2019.05.10記事「浮島式土器 神門遺跡ほか」で観察した浮島式土器が出土する遺跡を私家版千葉県遺跡データベースで検索し、その結果をQGISで分布図にして検討してみました。
なお、浮島式土器はⅠ、Ⅱ、Ⅲ等に細分されていますが、観覧した土器がそのように区分されていないので現状では一括して捉えることにします。細分学習は将来の課題とします。
1 浮島式出土遺跡の千葉県分布
浮島式土器出土遺跡
私家版千葉県遺跡データベースで浮島式を検索すると400レコード(遺跡)がヒットしました。
浮島式土器出土遺跡ヒートマップ
カーネル密度推定による作図であり、色が濃いところほど遺跡密度が高くなっています。
遺跡密度が高いところは大局的にみると次の3箇所になります。
・奥東京湾と古鬼怒湾が近接した付近 A
・都川・村田川河口付近 B
・大須賀川流域・栗山川源流付近 C
浮島式期の前の黒浜式期の分布はAがメインでしたが浮島式期になるとBとCで遺跡密度が高まったと言えます。
2019.05.08記事「黒浜式土器出土遺跡の分布」参照
2 貝塚との関係
浮島式期頃の貝塚分布図が「千葉県の歴史」に掲載されています。
浮島式期頃の貝塚分布図
2017.02.12記事「千葉県の貝塚学習 縄文時代早期中葉」から引用(元資料は「千葉県の歴史 考古4 (遺跡・遺構・遺物)」(千葉県発行))
この貝塚分布図と浮島式土器出土遺跡ヒートマップを原始的操作でオーバーレイしてみました。
浮島式期頃の貝塚分布と遺跡ヒートマップオーバーレイ
A、Bは貝塚集中域と遺跡集中域が分布上明瞭に対応しているように観察できます。
一方、Cは貝塚の明瞭な集中はありません。また貝塚の分布が遺跡集中域の外縁部になっています。
A・BとCは何か違いがあるように感じます。
A・B地域は漁業を重要な生業とした社会をイメージできます。
一方C地域は生業についてあるいは漁業についてA・B地域とは異なる要素・条件があるのか、興味が湧きます。
C地域は貝殻文土器(浮島式土器)出土遺跡が密集します。その場所に貝塚がありません。
将来、発掘調査報告書レベルで詳しく情報を吟味することにします。
3 参考 観察土器の出土遺跡
3-1 千葉市神門遺跡
神門遺跡
海浜部にある貝塚でイルカ解体作業場などが出土しています。
神門遺跡出土浮島式土器
貝殻文が観察できます。
3-2 香取市毛内遺跡
毛内遺跡
周辺に貝塚がありません。(「千葉県の歴史」による。)
毛内遺跡出土浮島式土器
貝殻文が観察できます。
2019年5月10日金曜日
浮島式土器 神門遺跡ほか
縄文土器学習 115
縄文土器を形式別に観察しています。
この記事では千葉県教育庁文化財課森宮分室展示室に展示されている縄文前期浮島式土器4点を観察します。
1 浮島式土器展示の様子
展示室の早期前期土器展示コーナーには浮島式土器が4点展示されていますのでア~エの符号をつけて区別して観察します。
千葉県教育庁文化財課森宮分室展示室における浮島式土器展示の様子
2 浮島式土器 ア の観察
浮島式土器 ア 千葉市神門遺跡出土 千葉県教育庁文化財課森宮分室展示室展示
浮島式土器 ア 上半部拡大(写真色調整) 千葉市神門遺跡出土 千葉県教育庁文化財課森宮分室展示室展示
櫛歯状具でつけたような平行沈線文蛇行曲線が描かれ、重ね書きも見られます。この沈線文が貝殻を利用したものであるかどうか、知識がないのでわかりません。しかし下部に波状貝殻文がありますから、貝殻片を合わせたつくった櫛歯状具かもしれません。
縄文土器を形式別に観察しています。
この記事では千葉県教育庁文化財課森宮分室展示室に展示されている縄文前期浮島式土器4点を観察します。
1 浮島式土器展示の様子
展示室の早期前期土器展示コーナーには浮島式土器が4点展示されていますのでア~エの符号をつけて区別して観察します。
千葉県教育庁文化財課森宮分室展示室における浮島式土器展示の様子
2 浮島式土器 ア の観察
浮島式土器 ア 千葉市神門遺跡出土 千葉県教育庁文化財課森宮分室展示室展示
浮島式土器 ア 上半部拡大(写真色調整) 千葉市神門遺跡出土 千葉県教育庁文化財課森宮分室展示室展示
櫛歯状具でつけたような平行沈線文蛇行曲線が描かれ、重ね書きも見られます。この沈線文が貝殻を利用したものであるかどうか、知識がないのでわかりません。しかし下部に波状貝殻文がありますから、貝殻片を合わせたつくった櫛歯状具かもしれません。
浮島式土器 ア 下半部拡大(写真色調整) 千葉市神門遺跡出土 千葉県教育庁文化財課森宮分室展示室展示
上下方向に波状貝殻文が2条見られます。
3 浮島式土器 イ の観察
浮島式土器 イ 佐原市毛内遺跡出土 千葉県教育庁文化財課森宮分室展示室展示
4 浮島式土器 ウ の観察
浮島式土器 ウ 佐原市毛内遺跡出土 千葉県教育庁文化財課森宮分室展示室展示
上下方向に波状貝殻文が2条見られます。
3 浮島式土器 イ の観察
浮島式土器 イ 佐原市毛内遺跡出土 千葉県教育庁文化財課森宮分室展示室展示
胴部を回るように波状貝殻文が施文されています。
浮島式土器 ウ 佐原市毛内遺跡出土 千葉県教育庁文化財課森宮分室展示室展示
胴部を回るように波状貝殻文が施文されています。
5 浮島式土器 エ の観察
浮島式土器 エ 佐原市綱原屋敷遺跡出土 千葉県教育庁文化財課森宮分室展示室展示
縄文はありますが、貝殻文は観察できません。(写真が鮮明でないことが理由かもしれません。)
6 浮島式土器の印象
貝殻文が文様のメインになるということは、貝が生活の中で大きな比重を占めるようになったからであると考えました。
しかし、並行土器や後代土器では貝殻文がメインとしては消えますから、なぜ貝殻文になったのか興味が湧きます。
7 参考 「日本土器事典」の浮島式系土器群記述抜粋
「浮島式土器は、利根川下流域の茨城県、千葉県などを中心とする関東地方東部および東北地方南部にまで分布するもので、関東地方西部から中部地方にかけて見られる諸磯式土器に併行する土器型式である。
浮島式、興津式は、竹管と貝殻により施文された土器群であり、各種貝殻文の施文が諸磯式土器群との相異である。
これらの土器群は、文様などの分類については整理されている。地文に撚糸文か貝殻文が施され、半戴竹管による肋骨文の類、平行沈線が同部上半に施されている類、変形爪形文の類指あるいは棒状工具による圧痕文の類、三角文の類などである。しかし、それらの推移、組合わせについては整理する必要性、可能性を持っている。」
「日本土器事典」から引用
8 浮島式土器の較正年代
浮島式土器の較正年代
小澤政彦先生講演「東関東(千葉県域)の加曽利E式」資料(2019.02.24)では浮島式土器に並行する諸磯式土器の較正年代が6080~5530年前calBPとなっています。
次の記事で浮島式土器の千葉県域分布を検討します。
……………………………………………………………………
学習チェックリスト
浮島式土器 エ 佐原市綱原屋敷遺跡出土 千葉県教育庁文化財課森宮分室展示室展示
縄文はありますが、貝殻文は観察できません。(写真が鮮明でないことが理由かもしれません。)
6 浮島式土器の印象
貝殻文が文様のメインになるということは、貝が生活の中で大きな比重を占めるようになったからであると考えました。
しかし、並行土器や後代土器では貝殻文がメインとしては消えますから、なぜ貝殻文になったのか興味が湧きます。
7 参考 「日本土器事典」の浮島式系土器群記述抜粋
「浮島式土器は、利根川下流域の茨城県、千葉県などを中心とする関東地方東部および東北地方南部にまで分布するもので、関東地方西部から中部地方にかけて見られる諸磯式土器に併行する土器型式である。
浮島式、興津式は、竹管と貝殻により施文された土器群であり、各種貝殻文の施文が諸磯式土器群との相異である。
これらの土器群は、文様などの分類については整理されている。地文に撚糸文か貝殻文が施され、半戴竹管による肋骨文の類、平行沈線が同部上半に施されている類、変形爪形文の類指あるいは棒状工具による圧痕文の類、三角文の類などである。しかし、それらの推移、組合わせについては整理する必要性、可能性を持っている。」
「日本土器事典」から引用
8 浮島式土器の較正年代
浮島式土器の較正年代
小澤政彦先生講演「東関東(千葉県域)の加曽利E式」資料(2019.02.24)では浮島式土器に並行する諸磯式土器の較正年代が6080~5530年前calBPとなっています。
次の記事で浮島式土器の千葉県域分布を検討します。
……………………………………………………………………
学習チェックリスト
2019年1月4日金曜日
千葉県遺跡分布地図帳 諸磯式土器と浮島式土器
私家版千葉県遺跡DB地図帳 22 諸磯式土器と浮島式土器
私家版千葉県遺跡DBの全レコード(20130)を分布図を通じて概観する活動を行っています。現在、項目(フィールド)「遺構・遺物」の記載キーワードを検索してその地物を含む遺跡の分布図例を作成しています。この記事では土器形式の例として縄文時代前期の諸磯式土器と浮島式土器の分布図を作成してみました。
1 諸磯式土器と浮島式土器の分布
私家版千葉県遺跡DB地図帳 諸磯式土器分布 107
私家版千葉県遺跡DB地図帳 浮島式土器分布 108
私家版千葉県遺跡DB地図帳 諸磯単独・浮島単独・諸磯浮島共伴分布 109
赤丸…諸磯式土器単独出土遺跡、青丸…浮島式土器単独出土遺跡、燈丸…諸磯・浮島共伴遺跡
参考 諸磯式土器と浮島式土器が出土する遺跡数(千葉県)
2 メモ
・大膳野南貝塚学習で縄文時代前期集落に諸磯式土器優勢竪穴住居と浮島式土器優勢竪穴住居と2形式が混在した竪穴住居が存在することを学習しました。縄文時代前期には諸磯式土器を使う集団と浮島式土器を使う別集団が存在し、その2集団が共住していた集落も存在していたということです。
・このような観点から諸磯式土器と浮島式土器が出土する遺跡の分布図を作成しました。予想以上に分布状況が異なります。諸磯式土器は房総半島の広域に分布する様相を呈しますが、浮島式土器は下総台地にほぼ限定されるような分布となります。
・諸磯式土器と浮島式土器が共伴する遺跡は諸磯式土器出土遺跡の集中域と浮島土器出土遺跡集中域が重なった地域に限定されるように観察できます。2集団が近接して生活した地域では2集団の共住が生れたような印象を受けます。2集団がお互いに婚姻の相手であったことがわかります。
参考 大膳野南貝塚前期集落 優勢土器別竪穴住居
2018.06.07記事「諸磯・浮島2集団の関係」
私家版千葉県遺跡DBの全レコード(20130)を分布図を通じて概観する活動を行っています。現在、項目(フィールド)「遺構・遺物」の記載キーワードを検索してその地物を含む遺跡の分布図例を作成しています。この記事では土器形式の例として縄文時代前期の諸磯式土器と浮島式土器の分布図を作成してみました。
1 諸磯式土器と浮島式土器の分布
私家版千葉県遺跡DB地図帳 諸磯式土器分布 107
私家版千葉県遺跡DB地図帳 浮島式土器分布 108
私家版千葉県遺跡DB地図帳 諸磯単独・浮島単独・諸磯浮島共伴分布 109
赤丸…諸磯式土器単独出土遺跡、青丸…浮島式土器単独出土遺跡、燈丸…諸磯・浮島共伴遺跡
参考 諸磯式土器と浮島式土器が出土する遺跡数(千葉県)
2 メモ
・大膳野南貝塚学習で縄文時代前期集落に諸磯式土器優勢竪穴住居と浮島式土器優勢竪穴住居と2形式が混在した竪穴住居が存在することを学習しました。縄文時代前期には諸磯式土器を使う集団と浮島式土器を使う別集団が存在し、その2集団が共住していた集落も存在していたということです。
・このような観点から諸磯式土器と浮島式土器が出土する遺跡の分布図を作成しました。予想以上に分布状況が異なります。諸磯式土器は房総半島の広域に分布する様相を呈しますが、浮島式土器は下総台地にほぼ限定されるような分布となります。
・諸磯式土器と浮島式土器が共伴する遺跡は諸磯式土器出土遺跡の集中域と浮島土器出土遺跡集中域が重なった地域に限定されるように観察できます。2集団が近接して生活した地域では2集団の共住が生れたような印象を受けます。2集団がお互いに婚姻の相手であったことがわかります。
参考 大膳野南貝塚前期集落 優勢土器別竪穴住居
2018.06.07記事「諸磯・浮島2集団の関係」
2017年4月2日日曜日
大膳野南貝塚 浮島式土器と諸磯式土器
大膳野南貝塚の前期後葉集落の学習を行っています。
次の項目について発掘調査報告書のデータを自分なりに咀嚼して、分析した結果生まれた興味を順次記事にする予定です。
◇竪穴住居
●土器
●石器
●獣骨
●土器・石器出土量と獣骨出土量の分析
●住居の形状・大きさ・方向・場所・建て替え・柱数・炉数
◇土坑
●形状・出土物
この記事では竪穴住居から出土する土器の形式について分析学習します。
発掘調査報告書における記載を土器形式に着目してまとめると次のようになります。
大膳野南貝塚 前期後葉 竪穴住居 土器形式
参考 大膳野南貝塚 前期後葉 竪穴住居・土坑分布
浮島Ⅱ式土器と諸磯b式土器の出土が多いのですが、よく観察すると浮島式土器が主体の竪穴住居、諸磯土器が主体の竪穴住居、その両者が主体の竪穴住居に分類できることが判ります。
浮島土器の例
諸磯土器の例
それぞれが主体となる土器形式の分布を描いてみました。
大膳野南貝塚 前期後葉 竪穴住居祉 主体土器形式分布
浮島式土器出土竪穴住居が集落の中心部に、それに隣接して台地縁を中心に諸磯式土器出土竪穴住居が分布します。
その両者が集落の中核を構成しているように観察できます。
そして浮島式土器と諸磯式土器の双方を主体とする竪穴住居が集落の外周部に分布します。
この土器形式分布から次のようなストーリーを自分専用の仮説として設定し、今後の学習の道具として、その修正・発展・廃棄を迫られるまで、活用したいと思います。
●2つの土器形式に関する仮説
1 浮島式土器を利用する家族が最初にこの地に定住して台地中央に竪穴住居を建設した。
2 次いで諸磯式土器を利用する家族がこの地に定住して浮島式土器家族の住宅より一歩だけ条件の悪い場所に住宅を建設した。
3 浮島式土器家族と諸磯式土器家族の婚姻が行われ、両家族住居を取り囲むように子ども・孫の竪穴住居群が建設され、それらの住居では両形式土器が使われた。
4 これらの住居が廃絶した時、親族が竪穴住居で祭祀を営んだ。
浮島式土器家族の場合には浮島式土器親族が祭祀の中心になるので、浮島式土器が主に持ち込まれた。諸磯式土器家族の場合には同じ理由から諸磯式土器が主に持ち込まれた。
両形式土器を使った子供・孫世代は浮島式土器親族と諸磯式土器親族が祭祀に参加するので、双方の土器が持ち込まれた。
この私家版仮説によりJ10やJ93竪穴住居の位置の不思議さ(集落中央から離れている様子)を説明することができます。
なお、J121竪穴住居からの出土物はゼロですが、集落消滅の最後に廃絶(あるいは退去)したため、誰からも祭祀を行ってもらえなかったものであるということと、おそらく浮島式土器家族であったことを想定します。
今後順次、集落の分析を進めます。
次の項目について発掘調査報告書のデータを自分なりに咀嚼して、分析した結果生まれた興味を順次記事にする予定です。
◇竪穴住居
●土器
●石器
●獣骨
●土器・石器出土量と獣骨出土量の分析
●住居の形状・大きさ・方向・場所・建て替え・柱数・炉数
◇土坑
●形状・出土物
この記事では竪穴住居から出土する土器の形式について分析学習します。
発掘調査報告書における記載を土器形式に着目してまとめると次のようになります。
大膳野南貝塚 前期後葉 竪穴住居 土器形式
参考 大膳野南貝塚 前期後葉 竪穴住居・土坑分布
浮島Ⅱ式土器と諸磯b式土器の出土が多いのですが、よく観察すると浮島式土器が主体の竪穴住居、諸磯土器が主体の竪穴住居、その両者が主体の竪穴住居に分類できることが判ります。
浮島土器の例
諸磯土器の例
それぞれが主体となる土器形式の分布を描いてみました。
大膳野南貝塚 前期後葉 竪穴住居祉 主体土器形式分布
浮島式土器出土竪穴住居が集落の中心部に、それに隣接して台地縁を中心に諸磯式土器出土竪穴住居が分布します。
その両者が集落の中核を構成しているように観察できます。
そして浮島式土器と諸磯式土器の双方を主体とする竪穴住居が集落の外周部に分布します。
この土器形式分布から次のようなストーリーを自分専用の仮説として設定し、今後の学習の道具として、その修正・発展・廃棄を迫られるまで、活用したいと思います。
●2つの土器形式に関する仮説
1 浮島式土器を利用する家族が最初にこの地に定住して台地中央に竪穴住居を建設した。
2 次いで諸磯式土器を利用する家族がこの地に定住して浮島式土器家族の住宅より一歩だけ条件の悪い場所に住宅を建設した。
3 浮島式土器家族と諸磯式土器家族の婚姻が行われ、両家族住居を取り囲むように子ども・孫の竪穴住居群が建設され、それらの住居では両形式土器が使われた。
4 これらの住居が廃絶した時、親族が竪穴住居で祭祀を営んだ。
浮島式土器家族の場合には浮島式土器親族が祭祀の中心になるので、浮島式土器が主に持ち込まれた。諸磯式土器家族の場合には同じ理由から諸磯式土器が主に持ち込まれた。
両形式土器を使った子供・孫世代は浮島式土器親族と諸磯式土器親族が祭祀に参加するので、双方の土器が持ち込まれた。
この私家版仮説によりJ10やJ93竪穴住居の位置の不思議さ(集落中央から離れている様子)を説明することができます。
なお、J121竪穴住居からの出土物はゼロですが、集落消滅の最後に廃絶(あるいは退去)したため、誰からも祭祀を行ってもらえなかったものであるということと、おそらく浮島式土器家族であったことを想定します。
今後順次、集落の分析を進めます。
登録:
投稿 (Atom)