2019年5月8日水曜日

黒浜式土器出土遺跡の分布

縄文土器学習 113

2019.05.07記事「黒浜式土器 若葉台遺跡など」、同月日記事「黒浜式土器 取掛西貝塚など」で観察した黒浜式土器の千葉県域分布を私家版千葉県遺跡データベース(素は旧「ふさの国文化財ナビゲーション」からのダウンロードデータ)で見てみます。

1 黒浜式土器出土遺跡の分布

黒浜式土器出土遺跡

黒浜式土器出土遺跡ヒートマップ
カーネル密度推定による分布密度図(色が濃いほど分布密度が高いことを表現しています)
奥東京湾沿岸(現在の江戸川沿岸)と古鬼怒湾沿岸(現在の利根川沿岸)が近接した付近の密度が特に高くなっていることが最大の特徴です。
早期に密度の高かった大須賀川(成田市付近)流域付近も比較的密度が高くなっています。

2 予察思考
黒浜式期の貝塚分布が次のように調べられています。

黒浜式期の貝塚分布
2017.02.15記事「千葉県の貝塚学習 縄文時代前期初頭~中期前葉」から引用(元資料は「千葉県の歴史 考古4 (遺跡・遺構・遺物)」(千葉県発行))
黒浜式土器出土遺跡の最も密集した場所がその時期の貝塚密集域と一致します。
同時に大須賀川流域付近などの黒浜式土器出土遺跡が比較的密集する場所には貝塚は少なくなっています。
この事象から、黒浜式土器出土遺跡分布には2つの原理が働いているような感じがします。
一つは貝塚を伴う漁労が生業のメインの一つである生活空間分布の原理、もう一つは貝塚を必ずしも伴わない生業による生活空間分布の原理です。

後日詳しく「腰を入れて」調べることにします。

3 参考 早期中葉沈線文期の遺跡分布

田戸下層式土器出土遺跡

田戸下層式土器出土遺跡ヒートマップ

早期中葉沈線文期の遺跡分布
2017.02.12記事「千葉県の貝塚学習 縄文時代早期中葉」から引用(元資料は「千葉県の歴史 考古4 (遺跡・遺構・遺物)」(千葉県発行))

田戸下層式土器出土遺跡分布はほとんど貝塚を伴っていません。
大須賀川流域をメインとする地域はずーっと長い間漁労を伴わない「旧石器的生活」が続いた特殊空間なのでしょうか?
黒浜式期にもその伝統が続いた空間なのでしょうか?

土器形式別遺跡分布図を作成すると地域性と関わるさまざまな問題意識を造成できることが判りました。
性急に答えを出す必要は現在の私の趣味活動で必須ではありませんが、人生活動残時間を考えると時間資源は貴重ですから、急いで検討を進めたいと思います。

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