2011年11月5日土曜日

戦後印旛沼開発工事前の地形横断復元

花見川河川争奪を知る33 花見川河川争奪の成因検討3 クーラーの説8
3期地形横断復元1

1 花見川河川争奪の成因を明らかにしたい。
→2 白鳥氏、oryzasan氏の考えに次いで、自分の考えを述べたい。
→3 自分の成因の考えの前に河川争奪現象そのものを明らかにしたい。
→4 河川争奪現象は江戸時代の堀割普請の盛土で隠されているので、まず堀割普請の実態を明らかにしたい。
→5 堀割普請の地形は戦後の印旛沼開発工事で掘削されているので、堀割普請の実態を明らかにする前提として、印旛沼開発工事の実態を知りたい。
という思考の入れ子状の連鎖の中で、もがきながら、この記事を書いています。


3期(河川争奪後~堀割普請前)の地形・古地理の復元に入りたいと思います。
検討はモデル検討地点を設定し、その地点における3期の地形横断を復元します。
この検討は次のステップで行います。
その1 戦後印旛沼開発工事前の地形横断復元

その2 天保期普請直後の地形横断復元

その3 3期の地形横断復元

検討のためのモデル箇所は次の場所を設定しました。

モデル断面位置図
ベースマップは千葉市提供DM

データ 赤点は測線と等高線が交わる場所など高さを計測した場所です。


その1 戦後印旛沼開発工事前の地形横断復元
ア 旧版地形図を利用した地形横断図の作成
旧版1万分の1地形図(「三角原」大正6年測量)より、地形横断図を作成しました。
作成方法は、測線と等高線が交わる場所等に赤点を打ち、その高度(あるいは内挿法による推計高度)と測線端からの距離を読み取り、エクセルのグラフ作図機能を利用して作成しました。
具体的なパソコン手作業方法は後日報告します。

地形横断図作成に用いた旧版地形図

イ 谷底の地盤高
谷底の地盤高は戦後の開発工事前の測量データが「印旛沼開発工事誌」(水資源開発公団印旛沼建設所)に掲載されていますので、そのデータを利用しました。(具体的には、モデル断面の上下流の地盤測定値より、モデル断面の値を内挿法で求めました。)

印旛沼開発工事前の谷底の地盤高

ウ 戦後工事前の地形横断復元図
次に示すグラフがアとイにより作成した戦後の印旛沼開発工事前の地形横断復元図です。
グラフには印旛沼開発工事後(現在)の地形横断図も載せています。
戦後工事前の地形横断復元図

この図から戦後工事前後の地形横断の比較ができます。
戦後の印旛沼開発工事により谷壁斜面が、特に東岸(図で左岸)において削られていることを確認できます。
西岸(図で右岸)の盛土背後の残存谷壁斜面が現在埋め立てられていること(県立柏井高校敷地)がわかります。
注意すべきことは、この図の印旛沼開発工事前の谷底地盤高は、あくまでも掘削工事をするための地盤高測量の結果であるという点です。
測量した際、水路があっても(その水路にはある深さがあるわけですが)、その水路底の値はこの地盤高となんら関係しません。
水路底の高さは当然ながら地盤高より低い位置になります。
また、測量時は、堀割普請以後110年程度の時間が経っているので、普請当時の水路と周辺の谷底は斜面からの土砂流入により埋め立てられていることは確実です。
したがって、印旛沼開発工事前の谷底地盤高はそのまま堀割普請直後の掘削河床高を表現していません。
そこで、次の記事で天保期堀割普請直後の地形横断(特に掘削河床高)を復元します。

なお、現代の地形横断はDMデータから作成し、谷底の高さのみ印旛沼開発工事の計画「水路底高」を使っています。

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