2011年11月18日金曜日

断層仮説

花見川河川争奪を知る44 花見川河川争奪の成因検討3 クーラーの説19
成因仮説2

巨智部忠承の断層論文や千葉図幅地質説明書(ともにこのブログのページ「断層論文」に掲載)で述べられている「印旛沼堀割線路中の活断層」が事実ならば、それに起因して河川争奪が発生したのではないかと考えました。

つまり、断層に起因する陥没や軟弱な破砕帯の発生により、近隣河川と比べて、古柏井川が東京湾側水系の浸食を受けやすい状況が発生したという考えです。

そこで、明治時代の、活断層かもしれないというこの情報について、専門家に評価していただき、それに基づいて断層仮説を構築しようと考えていました。

幾つかの経緯を経て、WEBで産業技術総合研究所に地質標本館地質相談所があり、地域の地質に関する質問ができることを知りました。
早速、巨智部忠承の「印旛沼堀割線路中の活断層」説についてその真偽を問い合わせてみました。

その問い合わせに対して、産業技術総合研究所活断層・地震研究センターの担当官より次の回答をいただきましたので紹介します。

お問い合わせの件ですが,ご指摘の千葉市花見川沿いの断層につきましては,おそらくそれ以降に本格的な調査はなされていないと思われます.
また,この報告を引用あるいは検討した論文も確認しておりません.
そもそも,巨智部忠承の報告を見ましても,安政地震時における亀裂や地層の傾斜などから断層の存在を推定したもので,現在の学術レベルでは必ずしも断層を推定するに足る十分な根拠ではありません.
また,この地域に広く分布する段丘面には,花見川を挟んで高さの違いは認められませんので,少なくとも活断層であるとは考えにくいと思われます.
巨智部氏の論文にもありますように,花見川の谷に沿っては非常に軟弱な地層が堆積しており,そのために3月の地震の際にも地表に亀裂等が現れたということは十分に考えられます.

産業技術総合研究所には丁寧な回答をしていただきお礼申し上げます。

活断層の存在そのものは、この論文をもって推定できないという専門家の評価を受け止めたいと思います。

忘れ去られていた明治時代の地質論文をきっかけにして、河川争奪成因の断層仮説を構築できないだろうかというロマンは、とりあえず矛を収めざるを得ないようです。

*    *    *

河川争奪成因としての巨智部忠承活断層説は一旦捨てたいと思います。
吉田東伍著「大日本地名辞書 坂東」を通して初めて巨智部忠承の断層説を知ったことや、「全部日本人の手になる」と強調される明治時代中期の地質調査成果を現物で検討したことは、私の知的体験としてとても有意義であったと感じています。
吉田東伍著「大日本地名辞書 坂東」(明治40年、冨山房)(影印復刻版)の「柏井」の項

0 件のコメント:

コメントを投稿