2018年6月23日土曜日

イノシシ・シカ頭部出土が多い意味

大膳野南貝塚後期集落出土獣骨の中で頭部骨の割合が多い事実の意味について感じていることをメモしておきます。

1 頭部骨の割合が多い事実
大膳野南貝塚発掘調査報告書では獣骨の中で頭部骨の割合が多い事実を指摘し、次のように解釈しています。
出土部位の偏りを見ると、上顎骨や下顎骨および遊離歯は多く出土しているが、四肢骨の出土量は少ない。これはシカの場合も同様である。シカの上腕骨遠位部にイヌの咬みキズが明瞭に残されている例があり写真に示した。これらの他にもイヌの咬みキズを持つ骨が多く見られることから、この遺跡のシカやイノシシの骨はイヌの餌にされていたと推測される。四肢骨が少ないのは、それらがイヌに与えられたためであろう。なお、骨に咬みキズを加えた動物が何であるかの判断は、ネズミでは切歯の形態、イヌ科では犬歯や上下の裂肉歯の形から推定したものである。イヌは肉片の付いた骨を与えられても骨そのものを食べるのではなく、骨を齧って骨膜や軟骨・骨髄を食べるのであって、その結果、骨の腐食・消滅を促進していたことになる。

参考例 獣骨最多出土土坑(254号土坑)の種別部位別動物遺体

参考 254土坑のデータベース画面

竪穴住居、土坑、貝層などから出土する獣骨における頭部骨の割合が一様に高くなっています。またイノシシ、シカのみならずタヌキなども頭部骨の割合が高くなっています。
この理由は発掘調査報告書で解釈しているとおり、四肢骨は犬に与えてあらかた砕かれて消失し、頭部骨は犬に与えずに人のみが扱い、最後に遺構に投入されたことを示しています。

2 頭部骨が犬に与えられなかった意味
頭部骨が最後まで犬に与えられなかった理由は、獣頭部が送り祭祀の対象となっていたからだと推定します。
新津健著「猪の文化史考古編」(2011、雄山閣)では次のようなチャートで縄文人がイノシシ祭祀を行ったことが述べられています。

猪への祈りのまとめ 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
縄文時代では獣の頭部と胴体の祭祀上の役割はいつも別々に捉えられ、全く異なっていたと理解します。
頭部は祭祀(獣送り祭祀)の対象であったので、「犬に与えて消費する」ことなく祭祀の重要アイテムとして使われたと考えることができます。

3 検討課題
3-1 出土獣骨における頭部骨と四肢骨の割合推定
獣骨は遺構別に詳しい悉皆調査結果が発掘調査報告書に掲載されていますので、この情報を分析すれば遺構別等に頭部骨と四肢骨の割合を計算することが可能だと判断しています。定性的に「頭部骨の割合が高い」ではなく、定量的に「頭部骨と四肢骨の割合は○:○」と把握できれば、その次に犬に与えられて消失した骨の量の推計とか、近隣遺跡との比較などが可能になります。
大膳野南貝塚の獣骨出土量は他遺跡と比べて貧弱のようですから、恐らく四肢骨のほとんどは犬に与えられてしまったのではないかと想像します。大膳野南貝塚では焼骨がほとんど出土しませんが、その理由は焼骨をつくる素材となるべき骨が全て犬の餌になってしまって、なかったことによると想像します。

3-2 イノシシ等頭部をアイテムとした祭祀について
イノシシ等の頭部が出土する遺構は廃屋墓、竪穴住居廃絶祭祀跡、貯蔵土坑廃絶祭祀跡、送り場土坑などです。このことから獣頭部を使った獣送り祭祀はそれ自体が独立した祭祀というよりもより高次の祭祀の一環として営まれたと推測します。イノシシ等の頭部をアイテムとして使った祭祀とそれが含まれる高次祭祀について想像を膨らませたいと思います。
なお、大膳野南貝塚ではシカ頭骨列が出土していて何らかの祭祀に関わる遺構であると考えることができます。その位置が集落北縁であることから、狩猟場へ通じる道路に建てられた狩猟に関わるシカ頭骨モニュメントではないかと空想しています。

1号鹿頭骨列


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