花見川と犢橋川に挟まれた台地上の浅い谷に名称(仮称)を与え(2012.1.22記事「犢橋長沼地区の検討」参照)、現在、横戸1谷津~横戸4谷津について検討しています。
新しい解析手法獲得(0.5m間隔標高区分図作成による解析)等により、予期しない発見があり、横戸1谷津~横戸4谷津の記事連載が続いています。今後順次横戸5谷津、横戸6谷津及び宇那谷川水系の谷津について記事を連載する予定です。
2012.2.6記事「犢橋川北岸台地上の小崖」、2012.2.5記事「0.1m間隔標高区分図」で掲載した0.5m間隔標高区分図は、色分けは0.5m間隔(ただし標高20.0m~29.0m間)ですが、色の下に0.1m間隔の段差陰影が強調されて透かし模様で入っています。
これにより、この標高区分図から0.1m間隔標高区分図に近い、詳しい情報を得ることができます。
1 横戸1谷津~横戸4谷津の上流延伸部捜索
0.5m間隔標高区分図により横戸1谷津~横戸4谷津の上流延伸部を捜索して、見つかった谷津地形を図に書き込みました。
谷津の上流延伸部捜索結果
地図太郎PLUS+5mメッシュによる
0.5m標高区分図
0.1m単位の段彩陰影付加
谷津の上流延伸部捜索結果+DMデータ
DMデータは千葉市提供
この図は位置確認のために掲載
横戸1谷津と横戸3谷津の上流部が見つかりました。
横戸1谷津は東京湾側水系によって切断されて場所に、東金街道より南側になりますが、見つけることができました。
横戸2谷津は東京湾側水系によって上流部は全て失われたようです。
この捜索結果から、横戸1谷津~横戸4谷津はともに、犢橋川によって区切られる台地南端付近までもその流路をさかのぼることができることまではわかりました。
さらにその上流が犢橋川を越えて南に拡がる台地にまで連続していたのかどうかは、南に拡がる台地の浸食開析と人工改変のために、捜索しましたが、不明です。
この捜索により、0.5m標高区分を行うと1m標高区分では知ることができない情報を得ることができるこを実感しました。
なお、この作業はパソコン画面上で現代地図(DMデータ)とのオーバーレイを繰り返し、人工改変の影響をできる限り排除して行いました。
画面上で観察できる起伏から人工改変の顕著な影響を排除しようとする思考を続けているうちに、大規模開発ではない1戸建て住宅地域や小規模業務施設地域では、個別施設の盛土切土量が限定されるので、地域全体としてみると0.5m単位~0.1m単位で見ても、本来の地形(あるいは本来の地形が有していたパターン)が相当程度残存していることがわかりました。
2 横戸1谷津~横戸4谷津と新たに見つけた小崖との関係
横戸1谷津~横戸4谷津と新たにみつけた小崖との関係は、犢橋川の台地開析が進んでいるので、明確なことはわかりません。
しかし、この小崖の東の延長が宇那谷2谷津を切っていることから、同様に横戸1谷津~横戸4谷津もこの小崖によって切られていると作業仮説的に考えておきます。
つまり、小崖1と横戸1谷津~横戸4谷津の関係と同じ関係を想定しておきます。
横戸1谷津~横戸4谷津上流部と小崖の想定分布
地図太郎PLUS+5mメッシュによる
0.5m標高区分図
0.1m単位の段彩陰影付加
横戸1谷津~横戸4谷津上流部と小崖の想定分布+DMデータ
DMデータは千葉市提供
この図は位置確認のために掲載
横戸1谷津~横戸4谷津は、その谷津ができた時は、犢橋川南岸台地から続いてきいたが、小崖によって南側が沈下するような形で切られ(截頭され)たと想定しておきます。頭の部分(谷津の上流側)は現在のところ見つけていません。
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