千葉市花見川区に、変則的平面形状をしている三角町(さんかくちょう)があります。
三角町の区域
「絵にみる図でよむ千葉市図誌 下巻」(千葉市発行)には、1954年に三角町が設定され、1971年にこてはし台1・3・4丁目が分離し、現在の二分する姿になったことが記述されています。
同時に、三角町の地名由来として「直接には旧陸軍軍用地時代の『三角原射場』の名前に由来すると思われる。」とあります。
肝心の「三角原射場」の「三角」(さんかく)の由来説明はありません。
三角の由来をかねてから知りたいと思っていました。
「三角測量」、「三角射撃?」、…など陸軍の演習活動に関係した由来かもしれないと想像したこともありました。
旧版1万分の1地形図には「三角台」「三角原」の地名がありますから、この地図をよく見てみました。
三角があります。正三角に近いきれいな三角です。
地図に表れた三角
旧版1万分の1地形図(大正6年測量)
迅速図にもこの三角は出てきます。
迅速図
千葉県下総国千葉郡長沼新田印旛郡宇那谷村図幅(部分)
明治15年測量
地図の中の「三角形」と「地名三角の由来は?」という思考が結びついた途端、この三角形が地名三角の由来だと直感しました。
このような地名のでき方は普通はありえませんが…。
この三角形が地名三角の由来であると考える理由は次の通りです。
1 旧版1万分の1地形図には三角形のすぐそばに地名「三角台」が書かれており、三角形と地名三角との関係の強さが示唆されます。
小崖1の上(北側)つまり「台の上」に三角形があり、三角台の地名命名のもっともらしさをさらに感じます。
2 明治以前の古文書には地名三角が確認できないことから、明治以降この土地が演習場になってから地名三角が生まれたものと考えます。
その場合、地名を付けたのは陸軍関係者以外には考えられません。
陸軍関係者は一般住民とことなり、地図を常時活用して土地を利用します。演習活動に地図は不可欠です。
したがって、地図に表れるこの特徴的形状をもって地名を付けるという、一般の地名のつけ方と全く異なる地名命名法が実在した可能性を支持します。
なお、大正初期には下志津飛行場を使った航空機偵察隊の活動がこの地域で行われていた可能性があり、偵察や爆撃訓練で、この三角が茫漠とした土地における格好の目印になり、地名形成につながった可能性も考えられます。(※)
※ 下志津陸軍飛行学校の設立は大正8年。三角原射場は「爆撃基本目標」が設定され、一般の砲撃ではなく、下志津陸軍飛行学校の演習活動(と毒ガス演習)に利用されていた。(近衛師団管轄演習場規程、昭和17年)三角原射場関連記事参照(2011.01.21記事「下志津射場図 6 演習場の区分」)
現在の三角町には三角を名称つけた企業等が多数ありますが、中には三角を「さんかく」ではなく、「みすみ」とわざと読ませる企業もあります。
「さんかく」では八木節の三角野郎のようなイメージになり、望む格調が保てないが、地名は尊重したいという苦肉の策かも知れません。
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