2012年2月25日土曜日

宇那谷川谷津が特段に幅広い事実の確認

疑問は考え続ければ、どこからともなく回答が出てくるものです。

2012.2.25記事で報告した後、これまで私が意識してこなかった宇那谷川谷津の幅広さの理由について、考え続けてみました。
その結果、自分の見立てを立てることができそうだという感覚をもつことができるようになりました。

歴史時代の長沼池よりもっと広い湖沼がここに存在していたことを物語る証拠に関わる見立てになりそうです。

最初に、宇那谷川谷津が特段に幅広い事実を確認しておきます。
まず3D表現で直感的に見てみます。

宇那谷川筋の0.5m間隔標高区分図の3D表現
地図太郎PLUS+カシミール3D+5mメッシュ

宇那谷川筋が浅い皿のような形状になっていることが確認できます。

上記3D図に用いた0.5m間隔標高区分図にA-B線を引き、横断面図を作成しました。

横断面位置図
地図太郎PLUS+5mメッシュ

横断面図
カシミール3D+5mメッシュ

宇那谷川谷津の谷底幅は、例えば横戸1谷津~横戸3谷津の谷底と尾根を全部合わせた幅になります。
宇那谷川が自らの浸食力で幅広い谷津を作ったとは到底考えられませんから(*)、断面図にみられる宇那谷川の谷津谷底に、本来幾つかの谷津があった(原初宇那谷川とその支谷津があった)と考えるのが妥当です。

また、宇那谷川の谷津谷底は標高が23mで、西側の幾つかの谷津より標高が高くなっています。(横戸4谷津~横戸6谷津、宇那谷1谷津の谷底標高は22m)

こうした事実を手がかりに、現在の地形ではなぜ宇那谷川谷底が幅広くなったのか、私の最初の見立てを記録しておきます。

*花見川流域では、元来、北に向かって下がる地形傾斜によって谷津が形成された。地殻変動により小崖1より南の地域では、小崖1により谷津の出口がふさがれた。同時に、北に向かって下がる地形傾斜が緩やかになったり、逆転して南に向かって下がるようになった。そのため、小崖1より南の谷津は浸食力を失った。

(つづく)

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