2012年4月25日水曜日

ああでもない、こうでもない 河川争奪考

花見川河川争奪について、ああでもない、こうでもないと思考し、時間を消費し続けています。
「下手の考え休むに似たり」ですが、趣味とはこういうものだと思い、検討を楽しんでいます。
現時点では、次のような事柄を知りたいと思っていますので、メモとして記録しておきます。

花見川河川争奪の現場

1 河川争奪の時期
ア F付近からB付近まで下総上位面を刻む印旛沼水系の谷(図の上に向かう谷)があったと考えられます。(いくつかの証拠を用意できます。)
イ 印旛沼堀割普請前の自然地形を見ると、B地点が印旛沼水系と東京湾水系の谷中分水界になっていたことが確認できます。(古文書資料による)
ウ アとイの間のどこかの時期にアで述べた谷のうちF~B間が東京湾水系にそのまま奪取されたことになります。(河川争奪)
エ その河川争奪の時期を特定すべく、検討を深めたいと思います。

【現在の見立て】
オ A付近で下総下位面を刻む古河川の地形・地質を見つけ、それが武蔵野面相当であることがわかりました。
カ この古河川はもともとE付近まで追跡できるもので、その河川をその後の時代(立川面の時代?あるいはその前?)の東京湾水系が争奪したと見立てます。(その見立てに基づいて証拠データを集めています。)

2 河川争奪の成因
ア 河川争奪の成因についてF地域(大きな楕円で示した地域)の特異な地殻変動が関わっていることは確実です。(過去の多くの記事で詳述した通り、小崖1の南のこの地域は土地が南に傾斜した結果、下総上位面離水後の谷津が化石地形化し、博物館展示のように残存したり、湖沼「古長沼」が形成されました。)
イ F地域は谷津による浸食作用が停止してしまった営力上の無風地帯になってしまったと考えます。
ウ 東京湾水系がこのF地域を主要な浸食前線としているように、上図から、見えるのはこのような要因があるからだと考えます。
エ F地域のこのような特性のなかで、花見川筋でだけ河川争奪が生じた理由は、2011.11.20記事「地理的位置仮説」で説明できると考えます。

3 河川争奪という定義
ア 河川争奪という学術用語を専門書で調べると、4つのタイプが記述されていますが、花見川の現象はこれら4つのタイプと合致しません。
イ 花見川における現象(別河川が河道を上流から下流に向けて丸ごと奪取する現象)を河川争奪という用語で記述することがよいのか、それとも別の新たな概念として定義し、用語造成した方がよいのか、検討したいと思います。

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