2014年9月12日金曜日

縄文時代遺跡密度図(ヒートマップ)考察

花見川地峡史-メモ・仮説集>3花見川地峡の利用・開発史> 3.1埋蔵文化財データに基づく地域特性基礎検討>3.1.32縄文時代遺跡密度図(ヒートマップ)考察

1 縄文時代遺跡密度図(ヒートマップ)の特徴と使い方
ア 縄文時代遺跡密度図(ヒートマップ)の特徴
縄文時代遺跡密度図(ヒートマップ)は縄文時代の全時期の遺跡を対象とした密度図です。
おそらく、考古歴史専門家の方はこのような縄文時代全時期遺跡密度分布は時期区分を前提とした分析のために使うことが困難ですから、その作成意義を感じないと思われます。
従って、この図(あるいは類似図)はこれまでつくられたことが無いものだと考えます。(少なくとも代表的図書では見かけませんでした。)

イ 参考 縄文時代の時期区分
縄文時代遺跡分布について、特に貝塚について「千葉県の歴史 資料編 考古4」(千葉県発行、平成16年)の縄文時代貝塚の項で詳しく説明されています。
この説明の中で次の時期区分が設定され、その時期区分毎に貝塚及び遺跡の分布図が掲載されています。

縄文時代の時期区分
「千葉県の歴史 資料編 考古4」(千葉県発行、平成16年)より引用

この著作を読むと一口で縄文時代といっても前期、中期、後期では遺跡分布の特徴が大いに異なることが判ります。その遺跡分布特徴の変化は、縄文人の生活の仕方が大きく異なったことに基因するようです。

この詳しい説明を読むと、縄文時代の詳しい専門的考察をしようとするならば上記時期区分に基づいて検討することが必須であることがわかります。

ウ 縄文時代遺跡密度図(ヒートマップ)の使い方
専門家の分析的思考とは別に、考古歴史に興味のある一般市民(専門門外漢、初心者、ディレッタント)から見ると、縄文時代というキーワードに対応させて、その遺跡分布がどうなっているのかということを最初に知りたくなります。それが判らないで一気に前期、中期、後期と話が展開しても咀嚼できません。要するに縄文時代の包括的で単純なイメージを自分の中に何はともあれ最初につくりたいのです。それが出来れば、そのイメージを基礎にして、時期区分毎などに興味を展開して、イメージを順次補強精緻化しいくことが容易になります。

このような経緯で作った縄文時代遺跡密度図(ヒートマップ)ですから、その使い方は次のようになります。

●縄文時代遺跡密度図(ヒートマップ)の使い方
・縄文時代遺跡密度分布の大勢を知る。
・縄文時代遺跡密度分布の大勢に自分の興味を投影して、新たな問題意識・仮説を生み出す。

一言でいえば、縄文時代遺跡密度図(ヒートマップ)は自分の発想を引き出す(楽しむ)ための道具ということになります。

2 縄文時代遺跡密度図(ヒートマップ)から発想したことがら(メモ)
縄文時代の成熟期をイメージして次の思考をしました。

縄文時代遺跡密度図(ヒートマップ)と水系網図とのオーバーレイ図

ア 多数集落を含む統制管理機能が存在する生活圏域が存在したか?
・a地区~i地区にはそれぞれ多数集落が含まれる統制管理機能が存在する生活圏域が存在したのか知りたい。
・特に、a地区は東京湾水系の都川流域と印旛沼水系の鹿島川流域が一つの遺跡密集地区として連担している。この場所に、貝塚を有する集落と分水界を超えた内陸集落を含む生活圏域が存在していて、海産物、獣肉、食用植物、各種日常生活用品等の相互融通社会システムが存在していたのか知りたい。

イ d地区は特別の交易機能を有していたか?
d地区は東京湾岸のa地区と香取の海沿岸のb地区の中間にある。立地場所は近隣水系の分水界の位置になっていて、a地区とb地区の双方に行くのに、尾根伝い及び谷津伝い双方の移動ルートを確保しやすい。香取の海(印旛沼)沿岸でもある。このような位置関係からd地区が東京湾と香取の海の間の交易・交流の結節点になっていた可能性があるかもしれない。

ウ 交通路
・a地区の分布から都川谷津と鹿島川谷津をつなぐ交通路があるように推察する。
・c地区の分布から大柏川谷津と大津川谷津をつなぐ交通路があるように推察する。
・f地区とi地区の分布から太日川(江戸川)と手賀沼をつなぐ交通路があるように推察する。
・一方、印旛沼-平戸川(新川)-花見川筋ルートが交通路であったという様子を、ヒートマップは強くは示唆していない。

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