シリーズ 花見川地峡の利用・開発史
第1部 縄文弥生時代の交通 その26
次の地形段彩図を基図とした「旧石器 埋蔵文化財が存在する町丁大字プロット図」は地図の縮尺から擬似「旧石器時代遺跡分布図」と考えて間違いありません。
地形段彩図を基図とした「旧石器 埋蔵文化財が存在する町丁大字プロット図」(=擬似「旧石器時代遺跡分布図」)
この地図をよく見ると、旧石器時代遺跡の分布がその時代の利根川水系沿岸(現在の東京湾沿岸)、鬼怒川水系沿岸(現在の利根川沿岸)、栗山川水系等沿岸(現在の太平洋沿岸)に帯状に密に分布するとともに、印旛沼周辺(台地の内陸)にも密に分布していることが判ります。
そのような把握イメージを次に示します。
旧石器時代遺跡の分布イメージ
これまで、「千葉県の歴史 通史編 原始・古代1」(千葉県、平成19年)の記述も参考にして、旧石器時代の狩の主要場所は印旛沼周辺にあると考えてきました。
ところが、遺跡分布イメージから、印旛沼周辺が遺跡密集地で狩の場であることとともに、台地縁辺部も遺跡が密集しその付近が狩の場であることが判ってきました。
これまでの旧石器時代の狩の主要な場は台地であるという自分の考えが単純であり、再考する必要があることに気がつきました。
少し突っ込んだ検討を次の記事で行います。
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