2016.08.31記事「上谷遺跡 養蚕関連墨書文字」
後をキヌと読む言葉の用例根拠は恋歌に出てくる「きぬぎぬ」です。
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後をキヌと読む用例
きぬ‐ぎぬ【衣衣・後朝】
〖名〗 (「衣(きぬ)」を重ねた語で、それぞれの衣服の意)
① 男女が共寝をして、ふたりの衣を重ねてかけて寝たのが、翌朝別れる時それぞれ自分の衣をとって身につけた、その互いの衣。衣が、共寝のあとの離別の象徴となっている。
*古今(905‐914)恋三・六三七「しののめのほがらほがらとあけゆけばおのがきぬぎぬなるぞかなしき〈よみ人しらず〉」
② 男女が共寝して過ごした翌朝。またその朝の別れ。きぬぎぬの別れ。こうちょう。ごちょう。
*新勅撰(1235)恋三・七九一「後朝の心を きぬぎぬになるともきかぬとりだにもあけゆくほどぞこゑもおしまぬ〈源通親〉」
『精選版 日本国語大辞典』 小学館 から引用
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また、後(キヌ)と一緒に家(ヤ)が同じ土器に墨書されているものがあることから、家は機織用家屋(掘立柱建物)であると考えました。
この上谷遺跡における検討を千葉県全体に広げて、墨書文字「後」と「家」の出土状況を俯瞰してみました。
「後」の出土リストは次の通りです。
上谷遺跡以外に「後(キヌ)」と「家(カ)」が同じ土器に墨書されている例が2例(ヵを含めると3例)あります。
また子(蚕)と後が一緒に書かれている例もあります。
これらの事例から後をキヌと読み、絹織物生産祈願語であるという想定が、想定以上の確からしさを持ったことになると考えます。
「後」の分布は次の通りです。
千葉県 墨書文字「後」出土遺跡
墨書文字「後」出土遺跡は絹の機織りが行われていたと考えます。
当然ですが、同時に養蚕も行われていたと考えます。
なお、大山遺跡の「真後家」は「マ・キヌ・カ」と読み、真(マ)は麻を意味し、麻織物と絹織物の産業発展と、その産業用家屋としての掘立柱建物の建設(建て替え)を祈願したものと考えます。
「家」の出土リストは次の通りです。
千葉県墨書文字「家」出土リスト
「家」は69遺跡から155点出土しています。
大家などの出土も多く、「家」(カ)とは掘立柱建物を意味してしていて、その建設祈願語であった可能性が濃厚です。
このうち養蚕や漆業務を示す墨書文字と一緒に出土する「家」の分布図を作成しました。
千葉県 墨書文字「家」出土遺跡(養蚕・漆関連文字を伴うもののみ)
子・小(=蚕(コ))、後(キヌ)=絹機織祈願と「家」が一緒に墨書されている土器出土遺跡が9、息(ソク)(=乾漆)と「家」が一緒に墨書されている土器出土遺跡が1つあります。
これらの「家」は養蚕あるいは絹機織産業の発展とその施設である掘立柱建物の建設(建て替え)、あるいは乾漆産業の発展とその作業場施設としての掘立柱建物建設(建て替え)を祈願したものと考えます。
また子(蚕)と後が一緒に書かれている例もあります。
これらの事例から後をキヌと読み、絹織物生産祈願語であるという想定が、想定以上の確からしさを持ったことになると考えます。
「後」の分布は次の通りです。
千葉県 墨書文字「後」出土遺跡
墨書文字「後」出土遺跡は絹の機織りが行われていたと考えます。
当然ですが、同時に養蚕も行われていたと考えます。
なお、大山遺跡の「真後家」は「マ・キヌ・カ」と読み、真(マ)は麻を意味し、麻織物と絹織物の産業発展と、その産業用家屋としての掘立柱建物の建設(建て替え)を祈願したものと考えます。
「家」の出土リストは次の通りです。
千葉県墨書文字「家」出土リスト
「家」は69遺跡から155点出土しています。
大家などの出土も多く、「家」(カ)とは掘立柱建物を意味してしていて、その建設祈願語であった可能性が濃厚です。
このうち養蚕や漆業務を示す墨書文字と一緒に出土する「家」の分布図を作成しました。
千葉県 墨書文字「家」出土遺跡(養蚕・漆関連文字を伴うもののみ)
子・小(=蚕(コ))、後(キヌ)=絹機織祈願と「家」が一緒に墨書されている土器出土遺跡が9、息(ソク)(=乾漆)と「家」が一緒に墨書されている土器出土遺跡が1つあります。
これらの「家」は養蚕あるいは絹機織産業の発展とその施設である掘立柱建物の建設(建て替え)、あるいは乾漆産業の発展とその作業場施設としての掘立柱建物建設(建て替え)を祈願したものと考えます。
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