2016.09.06記事「上谷遺跡の特異な地形特性」で上谷遺跡の地形解釈を次のように行いました。
上谷遺跡遺跡付近の地形解釈(想定)
この地形解釈に従うと、台地表層地下水の流れは次のように想定することができます。
上谷遺跡の地形解釈(想定)に基づく表層地下水の流れ
浅い谷が分断されて化石化して存在しています。
Dは凹地になっているのですが、Dは上流側Eからも表層地下水の供給があります。
一方DからCには小崖が存在しますから表層地下水が流れだしやすい構造にはなっていません。
結局Dには上谷遺跡付近台地の広い範囲から表層地下水が集まってきて、それが滞留するような環境になっていると考えることができます。
次に上谷遺跡の縄文時代住居跡を見てみます。
上谷遺跡の縄文時代住居跡
住居跡と認定された場所では、ある程度定住的な生活が行われたことが判明します。
定住生活を送ったということは、その近くで安定的に飲料水を得ることが出来たということを示しています。
全部で7個所ある住居跡のうち上谷池内4個所と近くの2個所合計6カ所の住居は上谷池を水源にして生活を営んでいた可能性を考えることができます。
特に上谷池内4カ所の中期住居跡は水源をその場の水面あるいは湧水に依存していた可能性が濃厚であると考えて合理性を欠きません。
縄文時代住居跡の情報から上谷池が水源地として機能していたことを推定することができます。
開発前地図ではたった1本の等高線で表現され、標高差1mほどの凹地ですが、それが縄文時代には人々の定住を担保した水場であったと考えることができました。
縄文時代に水場であったのですから、奈良・平安時代にも台地上の貴重な水源であった可能性について検討することは大切なことです。
この上谷池内に奈良・平安時代の土坑が多数ありますので、その機能を次の記事で検討します。
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