これらの土坑は、土坑の底部が被熱しているもので、土坑建設の目的と火使用が直接結びついていると考えます。
土坑廃棄後の覆土に焼土が含まれるものがありますが、ここでは扱いません。
上谷遺跡の被熱土坑
発掘調査報告書ではこれらの被熱土坑の利用目的には言及していません。
この記事では自分の思考力向上訓練(学習)の一環として、これらの被熱土坑の目的について推定します。
1 D025土坑
D025土坑
発掘調査報告書では次のような記述がされています。
・「坑底から壁にかけて火熱痕が認められた。覆土は当初の土坑廃絶後に自然堆積により埋没し、再度、掘り返された後の人為堆積であり、上層には焼土が厚く堆積している。」
・土器小片、鉄器刀子出土。
・「遺物から奈良・平安時代の所産と捉えた。坑底の被熱痕、覆土上層の焼土層と火の使用に係る土坑と捉えられるが、用途は不明であった。」
●検討 D025土坑は炭焼き土坑と推定
WEBでみつけた資料では、D025土坑と類似した形状の被熱土坑について古代炭焼き土坑であるとしているものがかなりあります。
例
http://www.city.honjo.lg.jp/ikkrwebBrowse/material/files/group/37/26meike3.pdf
それらの情報から、D025土坑についても炭焼き土坑であると考えることが合理的であると考えました。
この土坑が炭焼き土坑であると考えると、上谷遺跡の主部(掘立柱建物が集中している4個所)から離れてた場所にD025土坑が位置していて、開発の進んでいない場所(つまり林地)に近いと想定され合理的に捉えることができます。
また上谷遺跡からは鞴羽口が数か所から出土していて鍛冶が行われていましたから炭の需要は強かったと考えられます。従って炭焼き土坑の存在は、この付近のどこかに必然的なものでなければなりません。
2 D111土坑
D111土坑
発掘調査報告書では次のような記述がされています。
・「浅い凹み状の土坑である。抗底は平坦であり、壁はやや斜めに立ち上がっていた。覆土は炭化材層のみであった。遺物は出土していない。」
・「どちらかというと中世以降の炭窯の印象であるが、平面形状に丸みを持つ等の新しい時代の所産とは考えられない形状から、当該期の土坑と判断した。更に検討した場合には、所属する時代が動くかもしれない。」
●検討 D111土坑は火葬施設と推定
D025土坑が竪穴住居や掘立柱建物にきわめて近接した場所に存在して、産業施設とその管理竪穴住居という関係を推察できるのに対して、D111土坑は竪穴住居から少し離れた場所に存在しています。
また、この土坑は材を燃やして、そのまま放置しているように感じられます。
このような情報から、それ以外の特段の根拠はありませんが、火葬施設であると推定すると、この土坑が遺跡全体のなかでの収まりがよいと感じました。
上谷遺跡では火葬墓は見つかっていませんが、火葬は行われていたと考えます。
「判らない」と思考停止して、通りすぎるより、火葬施設と仮説しておく方が、それが正解か否かどちらでも、後々の上谷遺跡検討に資すると考えます。
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