上谷遺跡における鍛冶関連遺物出土竪穴住居の検討を続けます。
この記事ではA150竪穴住居について検討します。
1 A150竪穴住居の位置
A150竪穴住居の位置
A150竪穴住居は漆工房地帯の近くに所在します。
2 A150竪穴住居の特徴
発掘調査報告書からA150竪穴住居の特徴を列挙します。
●遺物が多い
本地区(発掘3区)の竪穴住居跡としては、比較的に出土遺物が多い遺構である。
A150
●鞴羽口破片の出土
鞴羽口破片は床面から出土している。
3 検討(想像を交えた学習)
A150竪穴住居には鍛冶ピットが存在していませんから、この竪穴住居は鍛冶遺構ではありません。
しかし、鞴羽口が覆土層からではなく床面出土であることから、この竪穴住居住人が鍛冶に関わっていたことを強く推すことができると考えます。
千葉県が想定している古代鍛冶のイメージ図には3人の鍛冶職人が描かれています。
参考 古代の鍛冶工房復元図
「千葉県の歴史 資料編考古4(遺跡・遺構・遺物)」(千葉県発行)から引用
このイメージ図の竪穴住居にこの3人とその家族が一緒に住んでいたということは、その狭さ、熱や音という環境等から考え難いことです。
1家族は住んでいたと考えますが、関係する職人家族の竪穴住居が別に2つあったに違いありません。
つまり、自分が住んでいる竪穴住居とは別の場所にある鍛冶工房に出かけて働いていた鍛冶職人がいるということです。
A150竪穴住居はそのような別の竪穴住居にある鍛冶工房に出かけて働いていた鍛冶職人の住居であったと考えます。
そのように考えると、A150竪穴住居の床面から鞴羽口破片が出土したことが自然な出来事であり、合理的に解釈できる事象として把握することができます。
鍛冶工房で働く職人が、壊れて捨てるしかない鞴羽口破片を自宅に持ち帰り、一種の自慢の物、記念の物として置いておくという心性は理解できます。
鍛冶は誰でもできるようなものではなく、高度な最先端技術です。
ですから、最先端技術の象徴である鞴羽口破片を所持することは、所持する人の価値を高めることに大いに役立ったと考えます。
鞴羽口破片は一種の威信財であったと考えます。
スポーツ選手の金メダル、研究者の学位証書や受賞記念物、技術者の資格証、公務経験者の勲章などの機能を古代社会における鞴羽口破片は果たしていたと考えます。
A150竪穴住居の住人が鍛冶職人であると考えますが、「職人」といっても現代社会の「職人」は社会ランクが低くみられがちですが、古代の鍛冶は最先端技術ですから、社会ランクは高いところに位置し、支配層クラスであった可能性が高いと考えます。
そのため、A150竪穴住居の覆土層から墨書土器「西」を含む多数の遺物が出土しているのだと考えます。
覆土層中の遺物は単に廃絶住居跡穴に廃棄物として捨てられたゴミではなく、廃絶後にその故人やその竪穴住居(場所)が果たした機能を弔い、あるいは感謝して行われた一種の祭祀によって置かれた(投げ込まれた、埋められた)お供え物であると考えます。
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【重要 予報】
まだ全部を調査していませんが、鍛冶遺物の出土は無いけれど鍛冶ピットと考えられるものが出土する竪穴住居をA150竪穴住居の北方向50mほどのところに「発見」しました。
鍛冶ピットと考えられるものが出土する遺構について、上谷遺跡全体を調査してから記事にします。
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