この記事ではD128、D130、D131土坑も漆関連土坑として想定できることをメモします。
参考 主な土坑の位置
参考 漆工房集中区域の可能性
発掘調査報告書におけるD128、D130、D131土坑の記載は次の通りです。
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D128
●遺構
長軸2.46m×短軸0.93m×深さ0.15m、長軸方位はN-41°-Wを示す。
平面形は長楕円である。
平面規模に比して浅い土坑で、やや凹み状の遺構であった。
遺構としては浅いものであるが、壁はほぼ垂直に立ち上がっており、坑底は平坦であった。
覆土は黒色土の人為堆積であった。
また、遺物は出土していない。
●所見
用途不明の土坑である。
覆土等から奈良・平安時代の土坑と捉えた。
D128土坑
D130
●遺構
長軸3.10m×短軸1.21m×深さ0.29m、長軸方位はN-85°-Wを示す。
平面形は長楕円形である。
坑底はやや凸凹を持つが平坦であり、坑底から立ち上がる壁はほぼ垂直であった。
遺構規模からすると浅い土坑である。
覆土は、黒褐色土を主体とした自然堆積であった。
遺物は出土しなかった。
●所見
D128と平面形や覆土等、類似する土坑である。
覆土等から、奈良・平安時代と捉えているが、土坑の用途は不明である。
形状の類似で単純には判断できないが、類似性を持つことは何らかの目的のもとに掘られたと考えている。
なお、A153と重複するが、本土坑の方が新しいと捉えている。
D131
●遺構
長軸(1.07m)×短軸1.00m×深さ0.24m、長軸方位はN-87°-Wを示す。
平面形は長楕円形である。
A128と重複し、D130と隣接した土坑である。
形状や深さはD128やD131に類似している。
坑底は平坦であり、坑底から壁はやや丸みを持って立ち上がり、その後はほぼ垂直に堀込面に至っている。
覆土は、黒色土主体の自然堆積であった。
遺物は出土しなかった。
●所見
D128やD131と類似する土坑であると先述したが、近接して3基の類似土坑を検出したものである。
覆土の状況から、奈良・平安時代としたが、不明の点も多い遺構である。
類似性を持つことがどんな目的であったかは判然としないが、しかも近接することによってつくられた土坑には、目的があったのではないかと考えている。
類例の増加を待ちたい。
D130、D131土坑
「千葉県八千代市上谷遺跡 (仮称)八千代市カルチャータウン開発事業関連埋蔵文化財調査報告書Ⅱ -第3分冊-」(2004、大成建設株式会社・八千代市遺跡調査会)から引用
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同じ理由(タール状付着物土器が出土した竪穴住居群の近くに存在)からD128、D130、D131土坑は漆栽培用の苗床であると想定します。
漆木から漆液が採取できるようになるまで7-8年かかり、また1本の漆木から採れる液は極限られていたので、集落の稼ぎを増やすためには漆木栽培が重要であったと考えます。
D128、D130、D131土坑の覆土は当時の苗床用の特製土壌そのものであると考えます。
そこから土器片などの遺物が一切出ないことは当然のこととして捉えられます。
この記事までに検討した漆関連遺構は次のような分布となります。
漆関連と想定した竪穴住居群と関連土坑
D128、D130、D131土坑が漆栽培用の苗床であるならば、漆畑はその近くの台地面に存在していたと考えることが合理的です。
漆畑はタール状付着物土器出土竪穴住居群とD128土坑の間の遺構が無い空間及びD130、D131土坑の北に広がる遺構が無い空間に存在していた可能性があります。
D125土坑が漆栽培用貯蔵庫、D128、D130、D131土坑が漆栽培用苗床であるならば、類似の土坑が近隣遺跡で必ず見つかることが想定できます。
従って、類似事例を探すことによってこれらの土坑用途が漆栽培用であることの真否を検証できると考えます。
近隣には充実した発掘調査報告書が無数にありますから、その検証にあまり時間はかからないような印象を持ちます。
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