2016年10月4日火曜日

上谷遺跡 墨書文字「竹」の由来

上谷遺跡の土坑検討の中で上谷遺跡の漆関連竪穴住居群、関連土坑群、掘立柱建物が近接空間に集中し、その場所が漆業務地帯であることがあぶり出されてきています。

この漆業務地帯と考える空間が墨書文字「竹」集団のゾーンに位置しています。

漆業務地帯と竹ゾーンの位置関係

漆業務地帯の真ん中に「西」が出土し、また漆工房と考える竪穴住居から「竹」は出土しません。

(この「西」出土竪穴住居からは鞴羽口も出ていて鍛冶工房だった可能性があり、漆業務に対して鉄器面でサポートしていた施設であると感じています。また漆工房群から「竹」墨書文字が出土していない理由は、集落廃絶の頃は工房が専業作業場であり、生活の場ではなかったからと考えることもできると思います。)

しかし、大局的にみて漆業務地帯と竹ゾーンは対応すると考えてよいと思います。

この情報から次の想定を想像力(空想力)を駆使して行いましたのでメモして残しておきます。

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●その分布から小地域集団を想起させる墨書文字「竹」の由来

竹を素材とした漆器(籃胎漆器)作成にかかわった集団が、その業務発展を祈願して墨書文字「竹」を使い、その文字が生活発展の祈願文字として集団に広く使われるようになった。

つまり、「竹」がその集団の象徴あるいは名称としての機能も備えるように発展していった。

●「竹野」の由来

竹集団が牧を営むようになるとその分派集団(牧集団)は親集団の文字「竹」に牧場の意味の「野」を組み合わせ、祈願文字を「竹野」とした。

2016.09.18記事「墨書文字「竹野」は竹集団の牧部隊をあらわす」参照

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この想定が正しいとすると、上谷遺跡では最初に籃胎漆器業務が存在し、その後牧業務が発生したことになります。

参考
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らんたいしっき 籃胎漆器

竹を編んで素地とした漆器。

丈夫で軽く変形が少ない。中国で早くから発達し,朝鮮の楽浪彩筐塚出土の〈人物漆絵竹筐〉は有名。

日本でも縄文時代から遺品があり,山王囲遺跡(宮城県)出土の断片の一つは復原すると径30㎝以上の鉢になる。

▶是川遺跡(青森県)からはほぼ完形の深鉢が出土するが,漆地粉で目留めし,弁柄〘べんがら〙漆を塗る技法は編み方も含めて現代の技法と変りない。

縄文晩期の櫛〘くし〙も多くは籃胎で,合理的で特殊な製法を見せる。

その後の遺品はほとんどなく,江戸時代に高松,久留米籃胎漆器が作られ,伝統産業として受け継がれている。

中里 寿克

『平凡社 改訂新版 世界大百科事典』 日立ソリューションズ から引用

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墨書文字「竹」の出土は全国的に見ても少なく、大変特徴的な文字です。

墨書・刻書土器「竹」10点以上出土遺跡

全国的に見ると、「竹」単独で使われる遺跡は上谷遺跡だけのようです。

2016.08.09記事「上谷遺跡 墨書文字「竹」の事前検討」参照

このような背景を考えると、上谷遺跡の墨書文字「竹」が籃胎漆器作成に関わると考える想定は意味が増します。

上谷遺跡から漆器は出土していませんが、もしかしたら、上谷遺跡が竹を素材とした漆器の名産地だったのかもしれません。



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参考

「竹」と「竹野」の例

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参考

墨書土器竹野に対応する野(牧)イメージ

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参考

上谷遺跡出土墨書土器一覧 1

上谷遺跡出土墨書土器一覧 2

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