2016年10月22日土曜日

上谷遺跡 鞴羽口出土竪穴住居(遺物多出土遺構)

上谷遺跡の鍛冶関連遺物出土遺構の検討(学習)を継続しています。

この記事では遺物多出土遺構であるA233竪穴住居について検討します。

1 A233竪穴住居の位置

A233竪穴住居の位置

A233竪穴住居はこの遺跡の「西」側の掘立柱建物群の中央部付近に位置しています。

2 A233竪穴住居の特徴と出土物

A233竪穴住居は竈の改替を行っています。

A233

A233竪穴住居は建物の主要施設の竈の改替を行っている、つまり建物の改築を行っているのですから、その情報から、この住居に居住していた家族は集落の中で裕福であり、恐らく支配層、リーダー層に位置する家族であったと想像します。

A233竪穴住居からの出土物は極めて多く、墨書土器も多数出土しています。

A233

A233

A233

A233竪穴住居の住人が集落の支配層、リーダー層クラスであったという想定と、A233竪穴住居廃絶後にその遺構を覆った堆積層(覆土層)に多数の遺物が含まれていることは強く関連する事象として捉えることができると考えます。

つまり、A233竪穴住居の住人が集落の中で重要な役割を果たした人物であることから、その人物が死亡して家長が途絶えてその住居を廃絶した後、その住居跡空間(窪地)がその人物やその人物が果たした機能を弔い、あるいは感謝するなどの祭祀の場になったと想定します。

A233竪穴住居廃絶後、その空間を通じて思い起こすことができることを共通心理として人々の祭祀が行われたと想定します。

その祭祀の際に、お供え物として各種鉄器や墨書土器が置かれた、埋められた、投げられたのだと思います。

「西」と墨書された土器の文字「西」が残るように土器を割って、それを供えた(置いた、埋めた、投げた)祭祀が行われたと考えます 。

ですから、文字「西」を共有する集団と関わる人物、恐らく「西」集団のリーダー格の人物がA233竪穴住居の家長であったと考えます。

このような状況の中で、鞴羽口出土を考える必要があります。

3 鞴羽口出土状況と解釈(想像)

鞴羽口の記載は次のようになっています。

長(76)×径-×厚32、依存度が小さく、内径は復元できず、淡褐色、普、砂質、断片

鞴羽口

鞴羽口の出土層位は床面あるいは床面に近接する覆土層のように読み取ることができます。

鞴羽口の出土位置

2の考察を踏まえ、A233鞴羽口出土を次のように解釈(想像)します。

・A233竪穴住居には墨書文字「西」を共有する生業集団のリーダー格人物が住んでいた。

・そのリーダー格人物が死んで家長が途絶えたため、住居を廃絶(取り壊し)した。

・住居廃絶空間はすぐに覆土して平地利用空間に戻すのではなく、穴として残して祭祀的空間として一定期間利用できるようにした。

・住居廃絶時に鞴羽口破片が床面に置かれた。あるいは廃絶後の祭祀の際に鞴羽口破片が置かれた。

・鞴羽口破片が置かれたのは、A233に住んでいた「西」集団リーダー格人物が鍛冶業務にも何らかの形で関わっていたからであると想像します。

・出土物に鉄製品が多いことと鞴羽口出土が関連していると捉えると、「西」集団の各種鉄製品の補修やリサイクルを行う鍛冶業務を、この死んだリーダー格人物が統括、支配していたと想定できます。

・出土鉄製品には刀子、鏃が多いことから、死んだリーダー格人物は治安や防衛にも関わっていたと考えることができます。従ってその格(位)はかなり上であったと考えることができます。

なお、覆土層の各細層記述には各所に焼土粒混入が含まれています。

この記述からA133竪穴住居跡(穴)で行われた祭祀では火が使われた可能性が濃厚です。

また、打ち欠きして「西」がよく見えるようにした土器片や鉄製品等を供えた祭祀は、死んだリーダー格人物の記憶が人々に残っている期間、繰り返しておこなわれたと考えます。

現代の1回忌、3回忌、7回忌、13回忌みたいな心性で、A133竪穴住居跡(穴)空間が祭祀の場になったと空想します。

なお、墓ではない家跡という空間が祭祀の場になっていたという自分の仮説に、自分自身が大いに興味を持っています。

空間(場所)に対して、共通の記憶をたよりにして、人々が強い意味を与える事象として興味を抱きます。

リーダー格でない一般住民が居住した竪穴住居を廃絶する場合、その場所を生活空間として別利用するために即座に埋め立てする場合もあったと考えます。

2016.09.12記事「上谷遺跡 一気埋戻し竪穴住居が馬歩行空間を示す」参照


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