2016年10月21日金曜日

上谷遺跡 鉄滓出土遺構

上谷遺跡の鍛冶関連出土物と鍛冶遺構について検討しています。

この記事では鉄滓出土遺構(A135竪穴住居)について検討します。

1 A135竪穴住居の位置

A135竪穴住居の位置

2 鉄滓の出土状況と解釈(想像)

A135竪穴住居の覆土層から鉄滓が出土しています。

鉄滓の記載(画像は未掲載)

長さ37×幅54×厚さ37 重量124.8g 赤褐色 砂粒含

A135竪穴住居は廃絶後に不用材の焼却を行った遺構で床面直上層には多量の炭化材が検出されていますが、鍛冶等を示すピットなどはなく、鍛冶遺構ではありません。

A135

住居廃絶後、住居を燃やして家長(一家)を弔う祭祀があり、その後の消火用投土の中に鉄滓を入れて、残された人が死んだ家長(一家)に対する思いを表現したのだと思います。

死んだ人が何らかの形で鍛冶に関係していた可能性が濃厚だとおもいます。

家長や一家が絶えて廃絶した住居を燃やして弔った空間は墓ではありません。

しかし、焼却祭祀を行った人々は竪穴住居跡という空間に対して特別の思いがあり、その場所に様々な供養の品を置いた、埋めた、投げたという風習があったと想像します。

有用なものが壊れて廃棄せざるを得なくなったとき、その大切であった壊れた物を焼却祭祀を行った竪穴住居跡のお供え物にしたという風習もあったのではないかと想像します。

竪穴住居跡から出土する遺物の多くはこのように解釈すると、単に「流れ込んだ」とか「ゴミ捨て場からの出土物」と考えるより合理的であるように考えます。遺物から読み取れる情報が格段に増大すると思います。

A135竪穴住居出土鉄滓は遺構中央部の覆土層下部からの出土であり、意識的に持ち込まれたと考えて間違いないと思います。

消火用投土の際、「偶然に鉄滓が紛れ込んだ」、「しかも空間中央部に紛れ込んだ」と考えることはできないと思います。

なお、A135竪穴住居からの遺物は「本地区の住居跡としては、比較的多い遺物の出土であった。」と記述されていて、墨痕のある土師器皿をはじめ全部で9点の土師器、1点の支脚、1点の鉄滓が遺物観察表に掲載されています。

A135竪穴住居出土物 

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