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2019年9月4日水曜日

根郷貝塚学習で生まれた廃屋墓に関する興味

縄文土器学習 253

鎌ヶ谷市郷土資料館展示阿玉台Ⅳ式深鉢形土器(根郷貝塚)の3Dモデルを作成しましたが、この土器をキッカケにして寄り道学習をしています。
この記事では根郷貝塚寄り道学習でうまれた興味(学習課題)のうち廃屋墓に関するものをメモします。

1 廃屋墓の状況
阿玉台Ⅳ式深鉢形土器が出土したJ5住居跡は6体の人骨が検出されています。1号人骨骨盤横下からバンドウイルカ下顎骨製垂飾品が3号人骨右手首付近からイノシシ牙製腕輪が出土しています。
人骨は床面に堆積した暗褐色土層の上に位置し、その上に貝層(混貝土層)が堆積しています。
また3号人骨から6号人骨は重なっている部分があります。

J5号住居跡実測図
「千葉県の歴史 資料編考古1(旧石器・縄文時代)」から引用

J5号人骨出土状況
「千葉県の歴史 資料編考古1(旧石器・縄文時代)」から引用

2号人骨
鎌ヶ谷市郷土資料館展示

2 廃屋墓に関する興味
廃屋墓に関する状況からどのような埋葬活動が行われたか推察することに興味が湧きます。
大膳野南貝塚の学習などから次のような想像をします。
1 J5住居が廃屋になり、恐らく上屋はなくなり、床面に土(暗褐色土)が堆積した。
2 時間差を伴って6人が死亡し、別の場所で殯(もがり)が長期間(長ければ1-2年)行われた。遺体はミイラになった。
3 ある時、集落各所で行われていた殯を区切るため、6体の遺体(ミイラ)をJ5住居跡に埋葬した。
4 3~6号遺体は親族でありわざと遺体に重なる部分を作って、一団となるように配置した。
5 6体の遺体を置いた後、その上に貝(混貝土)を被せ、全体を白っぽくして墓らしくした。

このような想像が合理的なものであるかどうか、今後学習を深めたいと思います。
参考 2017.12.12記事「人骨7体出土縄文時代後期廃屋墓

3 中峠式深鉢形土器の意義
J5号住居跡は集落のなかで重要な埋葬施設であったことは確実です。そこから石鏃・打製石斧・磨製石斧・磨石・凹石・ 石皿・ 砥石・削器・軽石製浮子・ 土器片錘・貝刃などが出土しています。その出土物に混じって阿玉台Ⅳ式深鉢形土器が出土したことになります。
これらの出土物は廃棄物集積場に廃棄されたと考えるのではなく、埋葬場所に置かれたお供え物として考えることが適切であると考えます。
現代人からみると廃用物を廃棄したと見える活動も、縄文時代にあっては死者を弔う祭祀活動(及び住居施設廃絶祭祀)の一環であったと考えます。

J5号住居から出土した阿玉台Ⅳ式深鉢形土器

2018年1月12日金曜日

獣骨多量出土竪穴住居は廃屋墓

大膳野南貝塚後期集落の出土物による竪穴住居検討 6

獣骨が多量出土した竪穴住居の様子を観察します。

1 獣骨多量出土竪穴住居

獣骨多量出土竪穴住居

獣骨多量出土竪穴住居の分布

2 獣骨多量出土竪穴住居の様子

J81 J78 J77 J85 J80
J77は床下墓坑があります。J81、J78、J80の3軒からヒト骨が出土しています。これらの竪穴住居は発掘調査報告書では廃屋墓としてはカウントされていません。

J74 J40
J74、J40ともに廃屋墓です。

J63 J36
J63からヒト骨が出土しています。発掘調査報告書では廃屋墓としてはカウントされていません。

3 考察
獣骨多量出土9軒のうち廃屋墓とヒト骨出土が7軒となり特筆すべき情報であると考えます。
獣骨が多量に出土したということは竪穴住居廃絶の際に獣肉食を含む祭祀が繰り返し行われたと考えられます。
獣骨多量出土竪穴住居のうち78%から人骨が出土していることから、これらの竪穴住居では単なる住居空間廃絶の祭祀(住居空間の送り祭祀)ではなく、その空間で営まれたヒト葬送の祭祀(廃屋墓祭祀)がメインであったと推察します。
獣骨多量出土竪穴住居は人骨が出土していないくても、その竪穴住居が廃屋墓であったことを示す指標になると考えます。
発掘調査報告書で廃屋墓とカウントされた竪穴住居からはすべて獣骨が出土しています。ただし獣骨の量は少ないものもあります。この現象はおそらく埋葬する人物の格(リーダー家族か否かなど)によって執り行われた祭祀の質レベルや回数が異なっていたからだと考えます。
リーダー家族の葬送祭祀では沢山の人を集め沢山のシカやイノシシを何回にもわたって食い、劣位家族の葬送祭祀では少人数が少量のシカやイノシシを少数回食ったのだと思います。
この考えが正しければ、人骨と一緒に出土する獣骨量でその人物の集落内社会的地位を推察することができるかもしれません。

……………………………………………………………………
この記事を訂正しました。2018.02.14
当初記事の竪穴住居別獣骨数に一部誤りがありましたので画像全部と文章の数値を訂正しました。記事大要に変更はありません。

2017年12月27日水曜日

廃屋墓の存在は世代を超えて伝承した

大膳野南貝塚 廃屋墓の機能不明柱穴の検討 18

2017.12.21記事「大膳野南貝塚 廃屋墓の機能不明柱穴の検討 まとめ」の中でピックアップした人骨出土竪穴住居と住居重複関係についてメモします。

人骨出土竪穴住居のこれまでの検討で廃屋墓となった竪穴住居は後世に新規竪穴住居によって切られる(破壊される)ことが少ないような印象を受けています。
そこで統計を取ってみました。
漆喰・貝層(覆土層中の貝層)が出土する竪穴住居を対象にして、他の竪穴住居によって切られる(破壊される)ものの割合を求めました。

大膳野南貝塚 漆喰・貝層出土竪穴住居 他の竪穴住居によって切られるものの割合(%)

人骨出土竪穴住居はそうでない竪穴住居とくらべて、切られる(破壊される)割合が少ないことを数値の上で確かめることができました。
これは廃屋墓の存在が、集落内で世代を超えて情報として伝承したことを表現していると考えます。
廃屋墓がそこにあるという情報伝達において、風景上廃屋墓に標識があったと考えることが合理的であると考えます。
廃屋墓にはアイヌのイナウやヌササンのような柱をつかった祭壇が存在していたのではないだろうかと想像しています。

2017年12月21日木曜日

大膳野南貝塚 廃屋墓の機能不明柱穴の検討 まとめ

大膳野南貝塚 廃屋墓の機能不明柱穴の検討 13

大膳野南貝塚後期集落の廃屋墓の学習を行い、廃屋墓の機能不明柱穴に祭壇柱穴が含まれているのではないかという疑問を10軒の人骨出土竪穴住居について確かめてきました。
この10軒の竪穴住居学習をとりまとめて、自分が得た知識(情報)を整理して今後の検討作業の方向をメモすることにします。

この記事では検討項目の抽出と人骨出土竪穴住居の分類を行います。

1 人骨出土竪穴住居の分類と分布
自分なりに人骨出土竪穴住居を分類してみました。

大膳野南貝塚後期集落 人骨出土竪穴住居の分類

また人骨出土竪穴住居の分布は次のようになります。

大膳野南貝塚後期集落 人骨出土竪穴住居

2 人骨出土竪穴住居に関連する主な検討項目
上記基本情報を踏まえ、次のような項目を検討(復習、整理とりまとめ)します。

ア 人骨出土竪穴住居の分類について
・廃屋墓と住居隣接墓
・犬墓にも見られる廃屋墓と住居隣接墓
・床面タイプと覆土層タイプ
・集骨葬と伸展葬・屈伸葬など
・住居内における人骨の場所
・人骨の方向

イ 集骨葬集団が非貝塚集団であること
・「加曽利E4~称名寺古式期」集団と「称名寺~堀之内1古式期」以降集団の差異

ウ 人骨出土竪穴住居の分布
・貝層付近に廃屋墓が集中したのか、貝層付近だけ人骨が残存したのか?
・貝層付近竪穴住居・遺物出土状況と貝層付近以外竪穴住居・遺物出土状況の差異

エ 人骨齧痕の意味
・モガリとミイラ化について

オ 人骨出土竪穴住居と住居重複関係
・廃屋墓は新たな竪穴住居によって切られることが少ない

カ 祭祀柱穴(祭壇)発見の可能性
・機能不明柱穴に祭祀柱の穴が含まれる可能性の判断 

3 人骨出土竪穴住居の分類について
3-1 廃屋墓と住居隣接墓
竪穴住居内の床面や覆土層から遺体が出土するものを廃屋墓と考えました。
J88、J67、J74、J18、J40、J11。
竪穴住居に遺体が置かれて殯(もがり)が行われ、あるいは別の場所で殯が行われた遺体(ミイラ)が持ち込まれ、その後貝殻や混貝土で埋葬した状況が人骨と土層から確認できる遺構です。
竪穴住居における遺体の存在と同時に居住に使われていたことはあり得ないと考えます。
従って居住していない竪穴住居を埋葬の場として使ったという意味で正真正銘の廃屋墓といえるものです。

一方、壁柱より外側の竪穴住居隣接域で張出部に近いところから幼児、周産期人骨が出土する例があり、住居隣接墓として分類しました。
当初いわゆる「床下墓坑」として考えてきましたが厳密には竪穴住居外存在として観察できることから住居隣接墓としました。
J77、J95。
幼児の遺体を竪穴住居に隣接して埋葬し、竪穴住居生活が幼児遺体存在と一体感をもって行えるようにした工夫であると考えます。
この例は廃屋に埋葬したのではありませんから廃屋墓の範疇には入れられません。

参考 J77竪穴住居の検討

3-2 犬墓にも見られる廃屋墓と住居隣接墓
人墓に廃屋墓と住居隣接墓という区分があることが判明しましたが、それと同じ現象が犬墓にみられます。大変興味深い現象です。
J9は犬の廃屋墓です。人が使った竪穴住居を犬の埋葬のために使っています。
一方次の例(1号犬骨)はJ43竪穴住居に付属する犬の住居隣接墓です。

参考 J9竪穴住居

参考 J43竪穴住居

3-3 床面タイプと覆土層タイプ
廃屋墓でも人骨が床面から出土するものと、覆土層から出土するものがあります。
床面から人骨が出土する竪穴住居 J88、J67、J74、J18、J40、J11
覆土層から人骨が出土する竪穴住居 J74、J79、J9
床面から人骨が出土する状況は、廃屋を最初から墓として利用する状況が見えますから、いわば手順を踏んだ正式の埋葬が行われた例であると考えます。
一方、覆土層から出土する例は竪穴住居廃絶の際に「ついでに」あるいは「急いで」埋葬したおざなりな埋葬であると考えます。

3-4 集骨葬と伸展葬・屈伸葬など
人骨が白骨化した後、骨を集めて一定の形をつくり(集骨)それを埋葬する集骨葬と殯でできるミイラの形をいじらないでそのままの形で埋葬する全く異なる2種の葬送が見られます。
集骨葬 J88
殯でできるミイラの埋葬 J88以外全て
集骨葬と殯でできるミイラの埋葬はその形式が全く異なり、他の条件も考慮するとう集団が異なると考えました。(別途検討予定)

J88竪穴住居出土 集骨された人骨

殯でできるミイラの形状や修飾にはつぎのものが観察できました。
伸展葬
屈伸葬
甕被り葬

3-5 住居内における人骨の場所
住居中央から出土する人骨は手厚く埋葬された可能性が高く、住居端の壁柱付近から出土する人骨は別の場所でミイラ化したものが住居壁の上から持ち込まれた(投げ込まれた)可能性があり、相対的な意味で埋葬方法の丁寧さランクが低いと考えます。

J18竪穴住居の例
中央の甕被り幼児は手厚く扱われ、端の壮年女性は住居壁から持ち込まれた(落とされた)可能性がある。

3-6 人骨の方向
竪穴住居のなかでの人骨の置かれた状況から、人骨の指す方向に意味がある可能性があるものがあります。
例 J40

参考
参考
 

2017年12月20日水曜日

住居壁等が失われている廃屋墓

大膳野南貝塚 廃屋墓の機能不明柱穴の検討 12

大膳野南貝塚廃屋墓の機能不明柱穴の検討を時期別に竪穴住居毎に順次検討していますがこの記事がその終回です。
この記事では堀之内2式期の残りであるJ11竪穴住居廃屋墓の検討をおこないます。

12 堀之内2式期 J11竪穴住居
11-1 特徴
発掘調査報告書では、J11竪穴住居はJ111竪穴住居と重複しJ11竪穴住居が新しいと記述されていて、柱穴帰属の検討もそのように行われています。
しかし、J111竪穴住居は出土土器から加曽利B1式期に比定されると記述されることから、J11竪穴住居はJ111竪穴住居より古く、J11竪穴住居はJ111竪穴住居によって切られていると考えざるを得ません。
従って発掘調査報告書による「J11竪穴住居はJ111竪穴住居より新しい」という記述は過誤であり、柱穴帰属の検討の一部にも過誤があると考えます。
人骨は炉祉北側の床面直上から成人骨1体検出されていますが、後世の削平等で多くの部位が失われています。頭骨が四肢骨から離れています。骨から齧歯類の齧痕が観察されています。
遺物は堀之内1~2式期に属する土器が中テン箱1箱分と獣骨26点が出土しています。

J11竪穴住居の位置

J11竪穴住居 柱穴分布
住居の南東部付近柱穴はJ111竪穴住居に帰属するものが多いと考えられます。

人骨出土の状況

12-2 検討
人骨は住居中央付近の床面から出土し、齧歯類によって食べられているので次のような状況が想定できます。
空家となっていたJ11竪穴住居に遺体が持ち込まれ、殯(もがり)が行われ、遺体がミイラ化し、そのさいにネズミに遺体の一部を食われ、その後漆喰と焼土を含む土で埋められました。(堀之内2式期)
加曽利B1式期になるとJ11竪穴住居跡が廃屋墓であるという情報の伝承が途切れていて、J11竪穴住居を切ってJ111竪穴住居が建てられました。

機能不明柱穴はその数が多く的確な考察が出来ませんが、炉祉の東西に分かれて4~5の機能不明柱穴群が対のように分布しています。それらが屋根を支える補助柱であるのか、それとも別の意義がある柱であるのか気になります。
人骨の分布は乱れていますが、東西方向に置かれていた様子がうかがえ、機能不明柱穴の分布との関連が気になります。

2017年12月19日火曜日

方向性を想起させる人骨配置廃屋墓

大膳野南貝塚 廃屋墓の機能不明柱穴の検討 11

大膳野南貝塚廃屋墓の機能不明柱穴の検討を時期別に竪穴住居毎に順次検討しています。
この記事では堀之内2式期の廃屋墓の検討をおこないます。

11 堀之内2式期 J40竪穴住居
11-1 特徴
J40竪穴住居はJ41竪穴住居、J114竪穴住居と重複し、最も新しい住居です。
覆土にはハマグリ、イボキサゴを含む混貝土層が堆積しています。
床面直上で伸展葬の人骨が検出され、壮年ないしは熟年の男性であることが判っています。人骨の一部には齧歯類の齧痕が観察されます。
出土物は土器、石器などが中テン箱1箱分と獣骨165点が出土しています。

J40竪穴住居の位置

J40竪穴住居 柱穴分布

人骨出土の状況

人骨出土の状況 大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用

11-2 検討
11-2-1 人骨の方向性について
この人骨がJ40竪穴住居の住人であったかどうかの直接証拠はありません。
作業仮説として次のような状況を想定します。
空家であったJ40竪穴住居に別の竪穴住居に住んでいた人物の遺体が持ち込まれ、殯(もがり)が行われ、遺体がミイラ化し、そのさいネズミにかじられ、最後は混貝土層で竪穴住居を覆った(埋葬した)と考えます。

人骨の頭が住居端、脚部が住居中央方向であり、人骨が指す方向が竪穴住居空間を意識したものであるように観察できて(時計の針のように観察できて)大変特徴的です。
人骨の頭が指す方向がその人物と関わりがある地物の方向を示すものかもしれません。

J40竪穴住居 廃屋墓 検討

J40竪穴住居出土人骨が指す方向にある地物

11-2-2 機能不明柱穴について
機能不明柱穴が単なる屋根を支える補助構造柱であるのか、祭祀性をもった柱(祭壇)でるのか、はたまた廃屋墓になった時新たに建設された祭壇であるのか決めてとなるような情報は得られません。
大膳野南貝塚の全竪穴住居情報を統計整理して分析し、後日検討を深めます。

2017年12月16日土曜日

覆土層人骨出土廃屋墓

大膳野南貝塚 廃屋墓の機能不明柱穴の検討 8

大膳野南貝塚堀之内1式期廃屋墓の機能不明柱穴の検討を竪穴住居毎に順次しています。

8 堀之内1式期 J79竪穴住居
8-1 特徴
J79竪穴住居を切ってJ14竪穴住居が存在し、J12竪穴住居を切ってJ14竪穴住居が存在していますが、J79竪穴住居とJ12竪穴住居の新旧関係は不明となっています。
人骨が床面から30㎝高い覆土中層から出土していて、この人骨が含まれる覆土がJ79竪穴住居の分であるとすると、J12→J79の順番であると推察できます。
人骨はJ79壁柱穴にかぶさって存在していますから、J79竪穴住居建物が無くなってからその穴が埋没する途中に埋葬されたものと考えることができます。
人骨は熟年~老年の男性で、後世の削平等により下半身が失われています。
J79竪穴住居の炉は漆喰炉、北西部覆土層上層から貝層が出土しています。
土器・石器が中テン箱1/3箱と獣骨28点が出土しています。

J79竪穴住居の位置

J79竪穴住居 柱穴分布

J79竪穴住居 人骨の状況

8-2 機能不明柱穴の検討
人骨が覆土層中から出土していることから機能不明柱穴が埋葬人骨に関連して新たに建てられた祭壇である可能性は無いようです。
竪穴住居が重複していることもあり、機能不明柱穴の意義を判断する決めては乏しいのですが、竪穴住居廃絶時に建てられた祭壇である可能性を否定できる材料は見つかりません。
[空想]もし北側にある4本の機能不明柱穴が竪穴住居廃絶時の祭壇であれば、その祭壇位置に対応して男性遺体の埋葬位置が決まったのかもしれません。

追記 J79竪穴住居の例は穴の覆土堆積中に埋葬された例であり、竪穴住居廃絶後それを廃屋墓(あるいはモガリ小屋)として再利用するという集落意思が希薄に感じます。
適当な埋葬場所がないので、あるいは正規の埋葬をするほどの故人ではないので、たまたま放棄されている竪穴があるのでそこに埋葬してしまおうという安易な意思が見え隠れします。
おそらくそのような安易な埋葬であるため、この竪穴に人が埋葬されたという情報は薄れ途切れてしまったと想定します。その結果J79竪穴住居は後年にJ14竪穴住居によって切られたのだと思います。
竪穴住居床面に遺体を置いて埋葬(モガリ)を行った本来の意味での廃屋墓は別の竪穴住居によって切られることは大膳野南貝塚ではありません。
廃屋墓の所在は世代から世代に情報として伝えられたと考えられます。
なお、床下墓坑の竪穴住居は別の竪穴住居によって切られています。縄文人にとって床下墓坑は家族レベルの葬送であり、集落社会における廃屋墓概念には入っていなかったと考えます。

2017年12月13日水曜日

多くが女性の人骨7体出土縄文廃屋墓 追考

大膳野南貝塚 廃屋墓の機能不明柱穴の検討 6

大膳野南貝塚堀之内1式期の廃屋墓の機能不明柱穴の検討をしています。
この記事は2017.12.12記事「人骨7体出土縄文時代後期廃屋墓」の続きです。

6 J74竪穴住居とJ105竪穴住居の関係
6-1 建物の関係
J74竪穴住居はJ105竪穴住居の跡に作られています。
その敷地関係は単なる偶然とは思えない様相を呈しています。

J74竪穴住居とJ105竪穴住居の関係

J74竪穴住居とJ105竪穴住居 大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用

J74竪穴住居はJ105竪穴住居の敷地内に完全に内包されていることが観察できます。
従って、J74竪穴住居と記述していますが、厳密にはJ74住居は竪穴ではありません。
J105竪穴住居は廃絶後焼却され床面に厚く焼土が分布していますが、その焼土の上にJ74竪穴住居の床面が形成されています。
またJ105とJ74の長軸方向は略一致します。さらに張出部の位置も同じ場所であると考えられます。
出土土器からJ105とJ74はともに堀之内1式期です。
これらの状況からJ74竪穴住居がたてられたとき、その場所がJ105竪穴住居廃絶祭祀跡の場所であることを十分承知して、つまり意識してわざとその中におさまるように竪穴を掘らない小住居を立てたことが推察できます。

6-2 人間関係の想像
J105竪穴住居から鯨骨製骨刀が出土しています。

J105竪穴住居出土鯨骨製骨刀 大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用
この骨刀出土はこの住居主人の持ち物で、その主人が死亡したときJ105竪穴住居の廃絶祭祀でこの住居に納められたと考えるならば、この住居の主人は集落のリーダー格であったと考えることができます。

リーダー格主人が死亡し、その住居を廃絶して燃やし、その跡に小さなJ74住居を作ったことになります。
そして、その小さな住居は住居内に補助柱が沢山あったのですから粗末なつくりであったと考えます。3回ほど建て替えをしている様子はその家の構造が粗末であるからそうせざるをえなかっと考えます。そしてさらに粗末な家構造は、集落がその家を頑丈につくることを許さなかったからだと考えます。

このように考えると(想像すると)、集落のリーダー格主人が死亡し、住居は燃やして廃絶し、その敷地内に粗末な小屋を建てて主人の妻(寡婦)が住んだのではないだろうかと想像します。
妻は主人の死亡に関連して殉死することは免れ、粗末な小屋を作って生きることが許されたのだと思います。
サハリンアイヌでは主人が死ぬと妻が亡骸を1年かけてミイラにし、ミイラが完成すると褒美をもらって生きることを許され、亡骸が腐ってミイラにならないと殉死させられたそうです。(瀬川拓郎「アイヌと縄文」(ちくま新書)による)

殉死を免れたリーダー格主人の妻(寡婦)が死亡すると、その小屋がモガリ小屋となり、最後には集落の別の女性や子どもの亡骸(モガリが行われて既にミイラとなったもの)も運びこまれ、ある時集落全員で純貝層で6体(追加してさらに1体)の亡骸(ミイラ)を埋葬したのだと想像します。
小屋は粗末ですが、集落女性世界では地位の高い女性の小屋ですから、その場所が集落女性陣の埋葬の場となったと想像します。

2017年12月12日火曜日

人骨7体出土縄文時代後期廃屋墓

大膳野南貝塚 廃屋墓の機能不明柱穴の検討 5

大膳野南貝塚堀之内1式期の廃屋墓の機能不明柱穴の検討をしています。

5 堀之内1式期 J74竪穴住居
5-1 特徴
J74竪穴住居はJ105竪穴住居を切って重複してつくられ、柱穴の分布から古段階、中段階、新段階の3段階にわたって建て替えられています。
床面付近から6体の人骨が、覆土層から1体の人骨が出土しています。
炉は漆喰炉で人骨は純貝層で覆われています。

J74竪穴住居の位置

J74竪穴住居 柱穴分布
古段階張出部柱穴は中段階張出部柱穴と重複すると考えられています。(発掘調査報告書)

人骨の状況
人骨の推定(発掘調査報告書)
1号人骨:壮年期女性
2号人骨:熟年期~老年期女性、右上顎側切歯が抜歯
3号人骨:性別不明3歳前後幼児骨
4号人骨:熟年期女性
5号人骨:青年期男性
6号人骨:壮年期前半女性
番外人骨:壮年~熟年女性頭骨片(覆土内出土)

人骨の状況 大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用

5-2 検討
5-2-1 人骨埋葬状況
人骨出土付近の土層断面の詳細を発掘調査報告書を詳しく分析して把握してい見ました。

人骨出土付近土層断面情報
3号・4号人骨及び5号・6号人骨出土付近は土層断面図があり土層の状況を把握することができました。
この把握結果を模式的に示すと次のようになります。

人骨出土付近の土層
1号・2号人骨は床面直上から出土し、純貝層に覆われている様子が観察(想定)できます。J74竪穴住居が廃絶して間もない時期の埋葬であるのかもしれません。発掘調査報告書では1号と2号の時間差はほとんどないと想定しています。
3号・4号人骨は混貝土層の堆積の上から出土し、純貝層に覆われている様子が観察(想定)できます。混貝土層は人為的に撒かれたと想定します。J74竪穴住居が廃絶して建物が無くなってからの出来事であると想定します。
5号・6号人骨は焼土粒、炭化物を含む土層堆積の上から出土し、純貝層に覆われている様子が観察(想定)できます。焼土粒・炭化物は人為的にこの場で物を燃やした跡ですから建物が無くなってからモノを燃やした、あるは建物を燃やした跡であると考えます。

さて、全ての人骨が純貝層に覆われているのですが、このことから亡骸が置かれたのはほぼ同じ時点であり、6体の遺骸の上に純貝層を一斉に掛けて埋葬が行われたのではないだろうかと想像します。
もし3組の亡骸の埋葬に時間差があり、それぞれの場合で純貝層を撒けばすぐ近くの床面は純貝層に覆われ、後に近くに別の亡骸が置かれた時それは純貝層の上に置かれ、断面的には純貝層中から出土することになります。しかしそうなっていないので3組の埋葬は1回であった可能性を想定できます。
番外人骨は純貝層がすでに存在していた時に埋葬された例であると考えます。

1号~6号人骨亡骸はJ74竪穴住居が廃絶し、その建物が取り払われ(おそらく焼き払われ)た後、あまり時間を置かないで一斉に持ち込まれ一斉に純貝層で覆った(埋葬した)と想像(空想)します。
1号~6号の亡骸の死亡時期や死亡要因は様々であると考えます。それぞれ別の場所で長時間(1~2年程度の)モガリがおこなわれ、亡骸はミイラ化していたと考えます。最後に集落のいろいろな住居に散在しているモガリ対象亡骸(ミイラ)をJ74竪穴住居に集め純貝層で埋葬して、集落として祭祀上の一つの区切りをつけたのではないだろうかと想像します。
7体の人骨のうち5体が女性であることは、家長(男)でない者(妻、子ども、女)の埋葬が集団で行われたという特徴をJ74竪穴住居廃屋墓が表現している可能性があります。

5-2-2 機能不明柱穴について
機能不明柱穴が多数存在しかつそれらのほとんどが2つの柱穴が隣接してペアで存在しているように観察できます。
この観察からJ74竪穴住居の機能不明柱穴の多くは建物の構造補助柱であり、建て替えの時に一緒に付け直されたと想像することができます。
同時に、土層断面図に表現される幾つかの機能不明柱穴は、床面に覆土層が堆積した時には存在していなかったように観察できます。
また、人骨が機能不明柱穴の上にかぶさって存在している場所もいくつかあります。
このような状況からJ74竪穴住居の機能不明柱穴の多くは建物を支える補助柱であったと考えて間違いないと思います。
なお、亡骸埋葬時に機能不明柱穴分布範囲は全て純貝層で覆われたので、その場に立派な祭壇が存在していたとは考えずらいですが、吹き流しなどを飾る背の高い祭祀柱が単独で存在していた可能性はあると想像します。

2017年12月8日金曜日

北方向を意識した縄文時代後期廃屋墓

大膳野南貝塚 廃屋墓の機能不明柱穴の検討 3

この記事から、後期集落のピーク時期(爆発的に発展して次期には衰退してしまう時期)である堀之内1式期の廃屋墓の機能不明柱穴の検討を始めます。

3 堀之内1式期 J67竪穴住居
3-1 特徴
近代道路工事の影響で削平され残存部は硬化していますが、帯状の混土貝層が残され、人骨が4体検出されています。

J67竪穴住居の位置

人骨は頭を東に向けて東西方向に並べられているように観察できます。

人骨の状況 1

人骨の状況 2

遺体が東西方向に並べられたことが偶然であるか、意図されたものであるか、今後多くの事例を知るプロセスの中で学習を深めることにしますが、この記事では東西方向に着目します。

人骨1と2は床面直上から人骨3と4は床面から10㎝高い覆土層から出土しているので、人骨1と2の遺体が置かれてから人骨3と4の遺体が置かれるまでの間に時間差があったことが確認できます。この竪穴住居は廃絶後墓として継続して使われたことが判ります。

3-2 検討
発掘調査報告書ではその機能の説明の無い柱穴が6カ所あります。

J67竪穴住居 廃屋墓

遺体が東西方向に並べられ、遺体直ぐ北側に3本の機能不明柱穴が存在することから、これまでに機能不明柱穴は送り場(墓)の祭壇柱であると推定する検討を行ってきています。

J67竪穴住居 送り場の様子推測

2017.07.22記事「竪穴住居の送り場利用は建物廃滅後」参照

J67竪穴住居 送り場イメージ

2017.07.23記事「竪穴住居跡送り場のイメージ」参照

J67竪穴住居は集落主部(北貝層、南貝層のそれぞれ東側)から離れていることから、また出土物(お供え物)の程度から、その利用者は集落一般層(非リーダー層)の者であったと推察します。

2017年12月3日日曜日

大膳野南貝塚 廃屋墓の機能不明柱穴の検討 1

大膳野南貝塚後期集落の廃屋墓竪穴住居の機能不明柱穴の中に祭壇柱の柱穴が含まれているのではないかと疑い、その落としどころがどこになるのかシナリオ不明のままですが検討を進めています。

大膳野南貝塚発掘調査報告書では竪穴住居柱穴について主に建物主体部(壁)と張出部に分けてその構造柱を記述しています。
発掘調査報告書で建物主体部(壁)・張出部と記載された柱穴以外の柱穴は図面に表現されているだけで、説明はありません。この説明のない柱穴をこのブログでは機能不明柱穴と称しています。

機能不明柱穴には次のような要素が含まれている可能性があります。
1 祭祀用柱(イナウ、ヌササンなど)の柱穴
2 当該竪穴住居の構造柱の柱穴
3 重複竪穴住居の構造柱の柱穴
4 当該竪穴住居の乾燥施設の柱穴

この記事では2017.12.01記事「大膳野南貝塚 廃屋墓から祭祀跡がみつかるか?」の情報整理結果を踏まえ、廃屋墓と分類された竪穴住居について詳細に祭祀用柱が見つかるか個別に検討します。

1 加曽利E4~称名寺古式期 J88竪穴住居
1-1 特徴
・北貝層に埋まって存在している加曽利E4~称名寺古式期の竪穴住居であり、竪穴住居が居住に使われていた時期はこの場所に貝層は存在していなかったと考えられます。

J88の位置

・漆喰炉が存在しない唯一の廃屋墓竪穴住居です。この時期にはまだ漆喰炉、漆喰床がありません。貝殻を砕いて漆喰をつくり家屋建設の素材として使うという技術開発以前の状況であったと考えることができます。
・J88から出土する遺物は炉甕、石斧、石錐だけであり他の廃屋墓のように多量の土器・石器・骨角器・貝製品や獣骨が出土しません。この事実はこの時期はまだ集落が貧しかったからであると想定します。
・人骨は壮年男で、その最終形が集骨となっています。

J88廃屋墓の集骨の様子

・骨には他の廃屋墓人骨のほとんどの場合と同じく齧歯類がかじった跡があります。竪穴住居床面に置かれた遺体が腐敗あるいはミイラ化するような時間(モガリ)があり、その時にネズミ等にかじられたと想定できます。
・腐敗あるいはミイラ化してネズミ等に食べられ、最後に白骨化した段階で人骨が意図的に集められた姿(配置構成された姿)が発掘された状態であると考えられます。
・このような集骨は他の廃屋墓では見つかりませんから、集骨という行為はこの時期特有の葬送形式であったと考えることができます。
・次の時期以降は主に伸展の姿で葬られますから、葬送文化の大きな転換が存在したと想像します。

1-2 機能不明柱穴の検討
発掘調査報告書ではJ88に機能不明柱穴はありません。
しかし「主体部・周辺柱穴」に分類された柱穴をよく見ると、炉のそばに壁柱穴としては到底考えられないものが含まれています。
炉のそばの柱穴深度は深いものではないので建物の主柱(大黒柱)として考えることは困難です。
この炉のそばの柱穴を祭壇(祭祀用柱)と考えると、その方向が東西性であり、北に向かって拝む施設として合理的に想定できます。
J88が廃屋となってから祭壇が設けられた可能性を検討対象とすることができます。
同時に炉の近くの柱穴は家屋が生活で使われていた時のモノの乾燥施設の柱であった可能性も否定できません。

J88 検討

1-3 感想
柱穴の分布から、J88に祭壇施設あるいは乾燥施設のどちらかが存在したようだと推測できただけでも、自分にとっては大きな学習成果となりました。
また集骨という葬送形式が集落最初期(加曽利E4~称名寺古式期)にだけ存在して、その後漆喰炉・漆喰床の時期(称名寺~堀之内1古式期以降)になると葬送文化も変化したことを知りました。葬送の変化と技術変化(生業変化?)が一挙に生じたということは集団の入れ替わりがあったことを物語っているのかもしれません。

つづく

2017年12月1日金曜日

大膳野南貝塚 廃屋墓から祭祀跡がみつかるか?

2017.07.23記事「竪穴住居跡送り場のイメージ」からのつづき記事になります。

大膳野南貝塚の縄文時代後期集落竪穴住居跡に祭祀用柱(イナウ、ヌササンなど)跡と推定できる柱穴を紙上発見できるのでないかと疑ってきています。
西根遺跡出土物にイナウが見つかったので大膳野南貝塚で発見できる可能性は濃厚であると考えてきています。

この記事では後期集落の全ての廃屋墓(10軒の竪穴住居)について柱穴色分け図を作成してみました。

1 大膳野南貝塚後期集落の廃屋墓分布

大膳野南貝塚後期集落の廃屋墓分布

2 柱穴色分け図
2-1 加曽利E4~称名寺古式期

J88

発掘調査報告書では機能不明柱穴はありません。

2-2 称名寺~堀之内1古式期

J77

発掘調査報告書では機能不明柱穴はありません。

2-3 堀之内1式期

J67

発掘調査報告書では機能不明柱穴が家屋内と家屋外に存在します。
家屋内機能不明柱穴が東西に並んでいて、北に向かって拝む祭壇の可能性を感じます。
出入口付近の機能不明柱穴もこの場所が送り場であることを示す標識の柱である可能性を感じます。

J95

発掘調査報告書で機能不明柱穴が家屋内と家屋外に存在します。


J74

発掘調査報告書で機能不明柱穴が家屋内に多数存在します。

J79

発掘調査報告書で機能不明柱穴が家屋内に存在します。
北側の機能不明柱穴は少し斜めですが、北向きに拝む祭壇の可能性を感じます。

J18

発掘調査報告書で機能不明柱穴が家屋内と家屋外に存在します。
家屋内の機能不明柱穴は北向きに拝む祭壇の可能性を感じ取ります。
J9

発掘調査報告書で機能不明柱穴が家屋内に存在します。
機能不明柱穴の配列は北向きに拝む時の祭壇の可能性を感じます。

2-4 堀之内2式期

J40

発掘調査報告書で機能不明柱穴が家屋内に存在します。

J11

発掘調査報告書で機能不明柱穴が家屋内と家屋外に存在します。

3 検討の方向
10軒の廃屋墓竪穴住居のうち8軒の廃屋墓竪穴住居で機能不明柱穴が見つかりました。
8軒のうち4軒の機能不明柱穴の並びが、北を向いて拝むときに設置するであろう祭壇の柱の並びのように観察することができます。
この10軒の機能不明柱穴の分布だけでシッカリとした判断をすることはできませんが、廃屋墓竪穴住居に祭祀用柱が存在していた可能性を思考する合理的根拠を得ることができたと考えます。
(2017.12.02追記 祭祀用柱が建てられた(祭壇が建設された)時期は、住居としての役目を終えた後、家屋構造物の中に建てられた場合と、家屋構造物が撤去あるいは焼却された後の穴に建てられた場合の双方が存在したのではないかと前期集落の柱穴分析から想像しています。)

次の記事でこのデータを使って分析を深めてみることにします。

なお、機能不明柱穴には次の要素が含まれ得ると考えています。
1 祭祀用柱(イナウ、ヌササンなど)の柱穴
2 当該竪穴住居の構造柱の柱穴
3 重複竪穴住居の構造柱の柱穴
4 当該竪穴住居の乾燥施設の柱穴(2017.12.03追記)

祭祀との関わりが薄いと考えられる竪穴住居(出土物がほとんど無いものなど)についてこの記事と同様の柱穴色分け図を作成して廃屋墓竪穴住居と統計的比較すると、廃屋墓竪穴住居データの意味が浮かび上がるかもしれないと考えていて、順次作業をしてみることにしています。