2023年2月5日日曜日

花見川と渋沢栄一

 花見川よもやま話 第9話


Hanami River and Eiichi Shibusawa


We don't usually come across information that Hanami River and Eiichi Shibusawa are related. However, from the perspective of the history of the Hanami River, Eiichi Shibusawa became a patron of the Inbanuma excavation project and played a major role, so it is worth knowing.


花見川と渋沢栄一が関係しているという情報は普段接することはありません。日本資本主義の父、実業世界の巨人である渋沢栄一が成し遂げた業績という観点から言えば、花見川の件(明治期印旛沼開削事業計画)はそもそも実現しなかった案件であり、些末なことになるのかもしれません。しかし、花見川の歴史という観点に立てば、渋沢栄一が事業計画のパトロンになり、大きな役割を果たしたので、確認して知っておくだけの価値はあります。

失敗した事業とはいえ、明治期花見川の歴史を学習することは、その中で渋沢栄一の開発思想に触れ、伊藤博文や土木最高位お雇い外人技師デレーケなどに触れることになり、歴史知識世界における視野拡大になります。

1 明治期印旛沼開削事業計画の推進者織田寛之と渋沢栄一

明治期印旛沼開削事業計画の立役者であり最大の推進者は織田寛之です。その活動は事業計画失敗後に編纂された資料総集編である織田寛之著「印旛沼経緯記」(明治26年)で詳しく知ることができます。

織田寛之は日本の農政、治水、水利に関する資料を収集整理して徳川期以来数度にわたり計画、着工された印旛沼開削工事を知る機会を得て、現代にいう民間ベンチャー起業のような形で開削同盟「大明会」を設立し、印旛沼開削事業を計画し事業化を推進します。その20年間にわたる過程の中で地元住民の賛同を得るだけでなく、伊藤博文をはじめとする明治政府の重鎮や千葉県に積極的説明と賛同をもとめました。当時日本土木界における最高権威であったデレーケの視察賛同まで引き出しました。その活動を裏で支えたのが渋沢栄一です。渋沢栄一は織田寛之がいつ誰と面会することが効果的であるかアドバイスし、実際の要人面会根回しを要人との交遊の中で、こと細かくサポートしたことが「印旛沼経緯記」に書かれています。また経費面でのパトロンにもなっていました。

明治期日本の国家発展のために印旛沼開削事業という社会資本整備がとても重要であると見抜いていた渋沢栄一は、事業計画推進者が織田寛之という民間(個人)であるにもかかわらず、強くサポートしました。

(参考 栗原東洋著「印旛沼開発史」第1部下巻)

2 古市公威と渋沢栄一

明治20年代に古市公威(後の日本土木学会初代会長)も渋沢栄一の示唆で印旛沼を視察しています。渋沢栄一は開発のための同盟者を募集するためには古市の視察巡見が必要であると織田に忠告しています。

(参考 三浦裕二・高橋裕・伊澤岬編著「運河再興の計画 房総・水の回廊構想」(彰国社))

3 明治期印旛沼開削事業失敗の分析

明治期印旛沼開削事業の失敗要因として、次の2つが指摘されています。

1 利根運河(利根川-江戸川)が先行して開通したこと。(=ニーズの減少)

2 印旛沼開削事業では印旛沼の利根川出口安食に閘門を設置することになるため、それにより利根川出水時における印旛沼遊水効果が無くなること(=利根川治水安全度の低下)、あるいは渇水時に印旛沼からの水供給を利根川が受けられなくなること(=利根川利水環境の劣悪化)が指摘されています。

(参考 三浦裕二・高橋裕・伊澤岬編著「運河再興の計画 房総・水の回廊構想」(彰国社))



織田寛之著「印旛沼経緯記」(明治26年)


渋沢栄一揮毫(織田寛之著「印旛沼経緯記」(明治26年))


予定される新1万円札(Wikipediaから引用)


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