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2020年7月12日日曜日

土偶祭祀基本構造(学習仮説)のポンチ絵作成

縄文土器学習 423

2020.07.10記事「土偶祭祀基本構造について(学習仮説)」で考察した土偶祭祀基本構造(学習仮説)のポンチ絵を作成して、自分の中に定着させました。
この学習仮説は自分の縄文社会消長分析学習にとって大きな意義がありますから、検討すればその都度仮説は変化変形するに違いありません。そのうち出発点の思考がどうだったのか正確に思い出せなくなることも過去の体験から大いにあり得ます。そこで、粗削りすぎますが、とりあえずポンチ絵で仮説として定着(確定)させ、この仮説をたたき台にして、今後の学習を楽しむことにします。

1 土偶祭祀基本構造(学習仮説)

土偶祭祀基本構造(学習仮説)

要点と課題
ア 土偶は早期・前期土偶と中期~晩期土偶の2種類存在する
ア-1 早期・前期土偶
・早期・前期土偶は後期旧石器時代ユーラシア大陸のビーナス信仰に起源をもつビーナス像である。
・手のひらに入れることのできる大きさである。
・出産時に妊婦が握って身を守ることがメインの使い方である。
・壊すことを前提にしていない。
・現代沖縄で子安貝を妊婦が護符として使うが、ビーナス信仰の系譜であると考えられている。
ア-2 中期~晩期土偶
・列島外から渡来した地母神殺害再生神話に由来する壊すための(殺すための)地母神像である。
・壊すことを前提に作られる。
・壊した多数部位を各所にばらまき、各所で幸が増殖するように祈願する。(本来は農作物豊作祈願)
・稲作技術と稲作祭祀が渡来して終焉した。

イ 地母神殺害再生神話の渡来について
イ-1 神話と農耕技術のセット性
地母神殺害再生神話の渡来は農耕技術の渡来とセットであったと考えることが合理的です。しかし農耕技術を縄文人は拒絶しており、その経緯や理由について知る必要があります。
気候温暖で暮らしやすい列島で、縄文人は苦労する農耕を拒絶し、文化的で魅力的な神話体系(祭祀体系)だけを選択的に受容したと空想します。
その結果農耕による生産物多産(食糧増産)という基盤づくり無しで文化の高度化(祭祀体系の高度化)=莫大な時間やエネルギー投入をしてしまい、結果として社会の弱体化を招いたと想像します。
草創期から前期までに縄文人が築いた資産を中期~晩期で食いつぶしてしまったと比喩します。(売り家と唐様で書く三代目)
縄文社会終焉は内部構造アンバランス(食糧獲得と祭祀活動のアンバランス)拡大で賞味期限切れとなってしまったと考えます。
イ-2 神話と農耕技術がどこから渡来したか、なぜ中部高地に最初に渡来したか
神話と農耕技術がどこから渡来したのか、どのような農耕技術であったのか、なぜ中部高地に最初に渡来したのか知る必要があります。

ウ 地母神殺害再生神話に基づく祭祀体系
ポンチ絵には表現されていませんが、地母神殺害再生神話は社会運営の基本ソフトウエアとなり、土偶祭祀以外の石棒や土器や装身具をつかったあらゆる祭祀の基本となったと考えられます。石棒や土器や装身具をつかった祭祀にどれだけの時間とエネルギーが投入されたのか、食糧調達に投じた時間エネルギーとの対比で知ることにより縄文社会脆弱性進行の程度を知ることができます。

2 地母神殺害再生神話による土偶の空間展開

地母神殺害再生神話による土偶の空間展開
地母神殺害再生神話による土偶が全国展開していく様子を28年前全国土偶悉皆調査結果からイメージしています。
なお全国展開する際、エピソードとして加曽利E式期千葉・東京(湾岸)の集落が土偶を明確に拒否した事実が確認されています。
「国立歴史民俗博物館研究報告第37集」(1992)の「東京都の土偶」では「貝塚地帯にあたる区部からこの土偶[注…中期後半土偶]は出土していない。加曽利E様式を土器様式とする東部関東地域の集団は、基本的に土偶を保有しなかったようであり、区部の集団はその傘下にあったのかもしれない。」と記述しています。
加曽利E式期貝塚地帯だけがなぜ土偶を拒否したのか、知ることが大切です。その時期・場所では女性が海女として生産活動で重要な役割を果たしていて、同時に海神信仰(貝を祭具とする信仰)が存在していたと想定しています。

[余談]
山幸彦と海幸彦神話の真の原点がここにあるような超空想を楽しんでいます。

3 感想
今後の縄文社会消長分析学習さらには縄文学習全般で、目にするデータ、論文、図書等情報すべてについて、それが土偶祭祀基本構造(学習仮説)を支持補強するようなものであるのか、反対に修正改変を強制されるようなものであるのか意識することになります。
そのような意識の新生成は学習意欲を駆り立て、学習を加速させ、対象物に対する興味を特段に深めることになると期待します。

2020年7月10日金曜日

土偶祭祀基本構造について(学習仮説)

縄文土器学習 422

縄文社会消長と土偶祭祀が深くかかわっていると推察できます。そこで、その関係学習を加速するためにとりあえず手持ち情報で土偶祭祀基本構造を学習仮説としてまとめてみました。
なお、土偶という土で作った人形だけでなく石偶等素材が土でない人形を使った祭祀、あるいは身近な素材(例 貝)を使った祭祀についても便宜上土偶祭祀と一緒に考察しました。

1 土偶祭祀基本構造(学習仮説)
ア 縄文草創期(上黒岩岩陰遺跡の例)
●祭祀ソフトウエア…母神に対する安産祈願(汎世界的ビーナス信仰)
●祭祀ツール…石偶
●祭祀活動の特徴的場面…出産時に石偶を手で握りしめ女性が身を守る。
●祭祀ツールの分布…祭祀ツールは骨牙製がほとんどであると考えられ、列島他所での残存・発見は困難。

上黒岩岩陰遺跡出土石偶
国立歴史民俗博物館研究報告第154集(2009)から引用

イ 縄文早期~前期の土偶祭祀
●祭祀ソフトウエア…母神に対する安産祈願(汎世界的ビーナス信仰)
●祭祀ツール…小型土偶
●祭祀活動の特徴的場面…出産時に土偶を手で握りしめ女性が身を守る、常時身につけ護符として利用するなど。破壊してばらまく活動はない。
●祭祀ツールの分布…早期土偶は下総を中心とする関東に多い。ただし貝塚遺跡でない遺跡。前期土偶は岩手県に多い。

バイオリン型土偶 (中央)
船橋市飛ノ台史跡公園博物館展示

早期土偶分布
「国立歴史民俗博物館研究報告第37集」(1992)から作成

前期土偶分布
「国立歴史民俗博物館研究報告第37集」(1992)から作成

ウ 縄文中期の土偶祭祀
●祭祀ソフトウエア…地母神殺害をテーマとした再生神話。[=原始農業社会で生まれた汎世界的な農作物起源神話](吉田敦彦著「縄文の神話」による)
●祭祀ツール…土偶(破壊[殺害]を前提に製作される地母神人形)
●祭祀活動の特徴的場面…土偶を多数部分に破壊して各所にばらまく。それにより各所で多様な幸が増殖することを祈願する。
●祭祀ツールの分布…中部高地で特段に濃密に分布する。列島外からもたらされた地母神殺害再生神話による土偶祭祀は、最初に中部高地で定着したと考えることができる。

中期土偶分布
「国立歴史民俗博物館研究報告第37集」(1992)から作成

エ 加曽利E式期の千葉・東京(湾岸部)の非土偶祭祀
加曽利E式期の千葉・東京(湾岸部)では土偶がほとんど出土せず、土偶を拒否していたことが以前から注目されています。その現象を土偶に対抗する別の祭祀が存在していたと考え、次のように仮説します。
●祭祀ソフトウエア…海神に対する豊漁祈願、増殖祈願
●祭祀ツール…磨貝、貝・骨製品(装身具として分類されているものに含まれる)
●祭祀活動の特徴的場面…磨貝、貝・骨製品を使った祈願活動(詳細不明)。
●祭祀ツールの分布…土偶非分布域は加曽利E式期の千葉・東京(湾岸部)で明瞭。祭祀活動で使った特徴的ツールと考えられる磨貝の分布は加曽利E式期の千葉・東京(湾岸部)に該当する(予察調査結果)。
●備考…加曽利E式期の千葉・東京(湾岸部)だけ非土偶祭祀(海の祭祀)が挙行され、土偶祭祀を拒否した背景に、この時期の貝塚集落では女性が海女として漁業活動に参加していたことが考えられる。

磨貝
千葉市有吉北貝塚発掘調査報告書から引用
【メモ】発掘調査報告書では磨貝はアリソガイ及びハマグリで確認され、用途不明としています。長期の利用で摩耗したものを磨貝としてピックアップしたもので、アリソガイでピックアップしたものの平均は長径11㎝を越えます。磨貝と判別しがたいものも多く出土しているようです。アリソガイは摩耗するにしたがって真珠のような輝きとなったと考えられます。
恐らく右手のひらに乗せて、左手を打ってカスタネットのような楽器として使っていたのだと空想します。貝塚地帯では土偶祭祀に代わり、貝の楽器による音楽活動をメインとする女性(海女)たちの豊漁祈願、増殖祈願祭祀が行われていたものと空想します。

オ 縄文後晩期の土偶祭祀
●祭祀ソフトウエア…地母神殺害をテーマとした再生神話。[=原始農業社会で生まれた汎世界的な農作物起源神話](吉田敦彦著「縄文の神話」による)
●祭祀ツール…土偶(破壊[殺害]を前提に製作される地母神人形)
●祭祀活動の特徴的場面…土偶を多数部分に破壊して各所にばらまく。それにより各所で多様な幸が増殖することを祈願する。
●祭祀ツールの分布…関東から東北にかけて濃密に分布する。
●備考…千葉・東京(湾岸部)の人々が土偶祭祀を受け入れたのは、加曽利E式社会崩壊後の堀之内式社会・加曽利B式社会の構成メンバーがすでに土偶祭祀を受け入れていた西方からやってきた人々であるからと想定する。

後期土偶分布
「国立歴史民俗博物館研究報告第37集」(1992)から作成

晩期土偶分布
「国立歴史民俗博物館研究報告第37集」(1992)から作成

2 感想
・土偶祭祀は縄文草創期から前期までと中期から晩期まででは全く異なる祭祀であると考えました。全国土偶出土数グラフの極端な変動の説明になります。

全国土偶出土数
「国立歴史民俗博物館研究報告第37集」(1992)から作成

・加曽利E式期の千葉・東京(湾岸部)地域つまり貝塚社会で土偶が全くと言ってよいほど出土しない理由の説明もできました。
・同時に土偶に代わる磨貝を使った祭祀活動の実態究明は今後の課題です。(磨貝が楽器祭具であるという認識自体の証明も今後の課題です。)

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参考 吉田敦彦著「縄文の神話」
青土社 1987