2020年7月10日金曜日

土偶祭祀基本構造について(学習仮説)

縄文土器学習 422

縄文社会消長と土偶祭祀が深くかかわっていると推察できます。そこで、その関係学習を加速するためにとりあえず手持ち情報で土偶祭祀基本構造を学習仮説としてまとめてみました。
なお、土偶という土で作った人形だけでなく石偶等素材が土でない人形を使った祭祀、あるいは身近な素材(例 貝)を使った祭祀についても便宜上土偶祭祀と一緒に考察しました。

1 土偶祭祀基本構造(学習仮説)
ア 縄文草創期(上黒岩岩陰遺跡の例)
●祭祀ソフトウエア…母神に対する安産祈願(汎世界的ビーナス信仰)
●祭祀ツール…石偶
●祭祀活動の特徴的場面…出産時に石偶を手で握りしめ女性が身を守る。
●祭祀ツールの分布…祭祀ツールは骨牙製がほとんどであると考えられ、列島他所での残存・発見は困難。

上黒岩岩陰遺跡出土石偶
国立歴史民俗博物館研究報告第154集(2009)から引用

イ 縄文早期~前期の土偶祭祀
●祭祀ソフトウエア…母神に対する安産祈願(汎世界的ビーナス信仰)
●祭祀ツール…小型土偶
●祭祀活動の特徴的場面…出産時に土偶を手で握りしめ女性が身を守る、常時身につけ護符として利用するなど。破壊してばらまく活動はない。
●祭祀ツールの分布…早期土偶は下総を中心とする関東に多い。ただし貝塚遺跡でない遺跡。前期土偶は岩手県に多い。

バイオリン型土偶 (中央)
船橋市飛ノ台史跡公園博物館展示

早期土偶分布
「国立歴史民俗博物館研究報告第37集」(1992)から作成

前期土偶分布
「国立歴史民俗博物館研究報告第37集」(1992)から作成

ウ 縄文中期の土偶祭祀
●祭祀ソフトウエア…地母神殺害をテーマとした再生神話。[=原始農業社会で生まれた汎世界的な農作物起源神話](吉田敦彦著「縄文の神話」による)
●祭祀ツール…土偶(破壊[殺害]を前提に製作される地母神人形)
●祭祀活動の特徴的場面…土偶を多数部分に破壊して各所にばらまく。それにより各所で多様な幸が増殖することを祈願する。
●祭祀ツールの分布…中部高地で特段に濃密に分布する。列島外からもたらされた地母神殺害再生神話による土偶祭祀は、最初に中部高地で定着したと考えることができる。

中期土偶分布
「国立歴史民俗博物館研究報告第37集」(1992)から作成

エ 加曽利E式期の千葉・東京(湾岸部)の非土偶祭祀
加曽利E式期の千葉・東京(湾岸部)では土偶がほとんど出土せず、土偶を拒否していたことが以前から注目されています。その現象を土偶に対抗する別の祭祀が存在していたと考え、次のように仮説します。
●祭祀ソフトウエア…海神に対する豊漁祈願、増殖祈願
●祭祀ツール…磨貝、貝・骨製品(装身具として分類されているものに含まれる)
●祭祀活動の特徴的場面…磨貝、貝・骨製品を使った祈願活動(詳細不明)。
●祭祀ツールの分布…土偶非分布域は加曽利E式期の千葉・東京(湾岸部)で明瞭。祭祀活動で使った特徴的ツールと考えられる磨貝の分布は加曽利E式期の千葉・東京(湾岸部)に該当する(予察調査結果)。
●備考…加曽利E式期の千葉・東京(湾岸部)だけ非土偶祭祀(海の祭祀)が挙行され、土偶祭祀を拒否した背景に、この時期の貝塚集落では女性が海女として漁業活動に参加していたことが考えられる。

磨貝
千葉市有吉北貝塚発掘調査報告書から引用
【メモ】発掘調査報告書では磨貝はアリソガイ及びハマグリで確認され、用途不明としています。長期の利用で摩耗したものを磨貝としてピックアップしたもので、アリソガイでピックアップしたものの平均は長径11㎝を越えます。磨貝と判別しがたいものも多く出土しているようです。アリソガイは摩耗するにしたがって真珠のような輝きとなったと考えられます。
恐らく右手のひらに乗せて、左手を打ってカスタネットのような楽器として使っていたのだと空想します。貝塚地帯では土偶祭祀に代わり、貝の楽器による音楽活動をメインとする女性(海女)たちの豊漁祈願、増殖祈願祭祀が行われていたものと空想します。

オ 縄文後晩期の土偶祭祀
●祭祀ソフトウエア…地母神殺害をテーマとした再生神話。[=原始農業社会で生まれた汎世界的な農作物起源神話](吉田敦彦著「縄文の神話」による)
●祭祀ツール…土偶(破壊[殺害]を前提に製作される地母神人形)
●祭祀活動の特徴的場面…土偶を多数部分に破壊して各所にばらまく。それにより各所で多様な幸が増殖することを祈願する。
●祭祀ツールの分布…関東から東北にかけて濃密に分布する。
●備考…千葉・東京(湾岸部)の人々が土偶祭祀を受け入れたのは、加曽利E式社会崩壊後の堀之内式社会・加曽利B式社会の構成メンバーがすでに土偶祭祀を受け入れていた西方からやってきた人々であるからと想定する。

後期土偶分布
「国立歴史民俗博物館研究報告第37集」(1992)から作成

晩期土偶分布
「国立歴史民俗博物館研究報告第37集」(1992)から作成

2 感想
・土偶祭祀は縄文草創期から前期までと中期から晩期まででは全く異なる祭祀であると考えました。全国土偶出土数グラフの極端な変動の説明になります。

全国土偶出土数
「国立歴史民俗博物館研究報告第37集」(1992)から作成

・加曽利E式期の千葉・東京(湾岸部)地域つまり貝塚社会で土偶が全くと言ってよいほど出土しない理由の説明もできました。
・同時に土偶に代わる磨貝を使った祭祀活動の実態究明は今後の課題です。(磨貝が楽器祭具であるという認識自体の証明も今後の課題です。)

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参考 吉田敦彦著「縄文の神話」
青土社 1987

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