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2020年7月2日木曜日

地形3Dモデルを作成した縄文草創期遺跡

縄文社会消長分析学習 32

これまでに学習した縄文草創期遺跡のうち地形3Dモデル作成遺跡を立体地図にプロットして、地形3Dモデル掲載ブログ記事にリンクしてみました。

地形3Dモデルを作成した縄文草創期遺跡
地形3Dモデル掲載ブログ記事にアノテーションからリンク
地理院地図3Dモデル(色別標高図+陰影起伏図)
垂直倍率:×9.9

動画

この資料を作成して、一鍬田甚兵衛山南遺跡と前田耕地遺跡、前田耕地遺跡と神子柴遺跡の距離があまり違わないことに気が付きました。
根拠はありませんが、この3つの遺跡はその当時交流があったに違いありません。

2020.06.26記事「3Dモデルを作成した主な土偶・人面土版」に続く試みで、Sketchfabを舞台にして、地理院地図3Dモデルを利用した学習情報整理資料の作成例です。

2020年5月31日日曜日

一鍬田甚兵衛山南遺跡付近の地形3Dモデル

縄文社会消長分析学習 23

千葉県多古町の一鍬田甚兵衛山南遺跡出土隆起線文土器及び有舌尖頭器等石器学習をしてきましたが、その地形をあらためて3Dモデルで観察してみました。

1 広域地形 3Dモデル

一鍬田甚兵衛山南遺跡付近 広域地形 地理院地図3Dモデル
地理院地図 数値地図25000(土地条件)+写真
垂直倍率:×9.9
赤丸:一鍬田甚兵衛山南遺跡

・一鍬田甚兵衛山南遺跡は太平洋水系の栗山川および古鬼怒湾水系の根木名川・木戸川の源流部に位置しています。つまり太平洋と古鬼怒湾の分水界台地に位置しています。
・隆起線文土器や有舌尖頭器が使われていた頃は現在よりも海水面がかなり低く、海岸線の位置が現在の台地縁よりもかなり沖合側に位置していて、台地面積が現在よりも大幅に広かった時期です。
・海岸線付近の土地の利用と台地における狩猟の双方を回帰するような活動における、狩猟生活の痕跡がこの遺跡から発見されたと想像します。

2 遺跡付近地形 3Dモデル
一鍬田甚兵衛山南遺跡付近地形 地理院地図3Dモデル
地理院地図 数値地図25000(土地条件)+写真
垂直倍率:×9.9
赤丸:一鍬田甚兵衛山南遺跡

・太平洋水系栗山川源流部の台地に遺跡が位置します。
・遺跡の立地は栗山川源流の水(泉)を飲料水として使っていたことを示していると考えます。
・住居は発見されていませんが、ある程度の長期間逗留をしていたに違いありません。
・旧石器時代遺跡集中域とは少しはなれた場所に一鍬田甚兵衛山南遺跡が位置していることから、この遺跡場所から狩場に出動するような定着的生活がしのばれます。
・現在は成田空港敷地内で、盛土された場所に位置しています。

参考 一鍬田甚兵衛山南遺跡付近の地形
旧版1/25000地形図「五辻」大正10年測図(大正14年発行)による
空色は谷津筋線、青色は凹地(閉じた等高線)

参考  隆起線文土器出土分布図
「成田国際空港埋蔵文化財調査報告書21 -多古町一鍬田甚兵衛山南遺跡(空港№12遺跡)-」(平成17年3月、成田国際空港株式会社・財団法人千葉県文化財センター)から引用追記
遺跡北端部に隆起線文土器出土域が限られ、D1-26グリッド(5m×5m)が最も集中出土している場所です。

参考 一鍬田甚兵衛山南遺跡の位置 赤色で表示 
成田国際空港埋蔵文化財調査報告書21(千葉県文化財センター調査報告第517集)から引用・加筆
「栗山川の支谷最奥部に面する台地北端部に立地し、標高は約41mである。根木名川・栗山川・木戸川などの水系の分水嶺となる地域である。」

2020年4月17日金曜日

大平山元Ⅰ遺跡付近の地形3Dモデル

縄文社会消長分析学習 4

前田耕地遺跡付近の地形3Dモデルが思わぬ簡便さでかつ満足感の得られるような出来ばえで作成できました。
そこで国内最古土器出土遺跡である大平山元Ⅰ遺跡付近の地形3Dモデルも作成して、最終氷河期クラマックス期の地形の復元と人活動について夢想してみました。

1 大平山元Ⅰ遺跡付近デジタル標高地形図 地理院地図3Dモデル

大平山元Ⅰ遺跡付近デジタル標高地形図 地理院地図3Dモデル 
デジタル標高地形図(青森県)と陰影起伏図の合成 
赤丸:大平山元Ⅰ遺跡(国内最古土器出土、約16500年前) 
垂直倍率:×5

地理院地図作業図

2 感想
ア 地形復元の夢想
大平山元Ⅰ遺跡が乗る台地よりその当時の蟹田川河床は低かったことは間違いありません。大平山元Ⅰ遺跡の標高は約20m、付近の蟹田川現在河床標高は約12mです。しかし、地形断面図から判断して、右岸側山が迫っていて、大平山元Ⅰ遺跡が生きていた当時(つまり海面がマイナス100mであった当時)台地面よりはるかに下刻した位置に蟹田川河床はあり得ないと見立てることができます。
詳しい地形地質情報はありませんが、海面がマイナス100m時期の蟹田川河床縦断形は急勾配であったことは間違いありませんが、その河床が大平山元Ⅰ遺跡付近ではまさに遺跡が乗っている台地として残っていると考えることができます。
大平山元Ⅰ遺跡は当時の蟹田川河原の小高い場所に存在していたと考えることができます。現在の蟹田川は海面がマイナス100m当時の河床面を数m下刻していると想定できます。
イ 大平山元Ⅰ遺跡と蟹田川との関係
大平山元Ⅰ遺跡は当時の河原の小高い場所に存在していて、蟹田川が大きく屈曲する場所でかつ西側には支川合流部が存在します。蟹田川河川環境に多様性が見られる場所であり、サケマス産卵などに格好の場所であった可能性が濃厚です。
大平山元Ⅰ遺跡からは水産資源に関連する情報は見つかっていないようです。しかし遺跡立地位置が蟹田川が平野部に出る地形の変換点に位置していて、河川生態環境上の特異点に該当することから、サケマスなど水産資源利用のためにこの場所に人が逗留した可能性が濃厚だと推測します。