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2026年3月3日火曜日

石冠(市原市祇園原貝塚)観察記録3Dモデル

 3D Model of Observation Records of Stone Crown (Gionbara Shell Mound, Ichihara City)


I enjoyed creating a 3D model of the observation records of the stone crown (Gionbara Shell Mound, Ichihara City), which is on display at the Chiba City Archaeological Research Center's special exhibition "The Mysterious Late Jomon Period."

This is a ritual implement excavated from a large dwelling. It is tilted when viewed longitudinally. It also suggests that it was used upside down.


千葉市埋蔵文化財調査センターで開催中の特別展「謎多き縄文晩期」で展示されている石冠(市原市祇園原貝塚)の観察記録3Dモデルをつくり楽しみました。

大型住居から出土した祭祀具です。長軸方向で見ると傾斜しています。倒置利用もうかがえます。

1 石冠(市原市祇園原貝塚)観察記録3Dモデル

石冠(市原市祇園原貝塚)観察記録3Dモデル

大型住居出土の祭祀具

撮影場所:千葉市埋蔵文化財調査センター 令和7年度特別展「謎多き縄文晩期」

撮影月日:2026.02.12


展示の様子

ガラスショーケース越し撮影

3DF Zephyr v8.038で生成 processing 147 images


3Dモデルの動画


3Dモデルの画像(テクスチャ有り)


3Dモデルの画像(テクスチャ無し)


3Dモデルの画像(テクスチャ有りと無しのハードライトミックス)

2 メモ

・石冠の展示左側端部に凹線が彫刻されています。それ以外に幾つかの場所に削られたような部分が見られます。

・置いた状態の石冠を長軸方向でみると傾いていて、意味が隠されています。

・天井部が水平に近い平面になっています。色もこすれたためか白っぽく変化しています。倒置して置いて使われた様子がうかがえます。


長軸方向


上から


2021年12月19日日曜日

加曽利貝塚博物館 縄文講座 「祇園原貝塚」の受講

 Attendance of a lecture on "Gionbara Shell Mound"


I attended a lecture on "Gionbara Shell Mound". The instructor is Mr. Narumi Shinobusawa of the Ichihara City Board of Education.

I became interested in topics such as the topographical characteristics of the shell mound village, graveyards and human bone accumulation, Jomon people's food, stone tools for making shell rings, and the origin of obsidian, which differs depending on the water system of the village.


加曽利貝塚博物館第2回縄文時代研究講座「市原市指定史跡祇園原貝塚-千年続いた縄文のムラ-」(講師 市原市教育委員会博物館準備室長 忍澤成視)を12月18日に受講しました。抽選で30名のみ参加という超難関(?)を無事通過してのうれしい参加です。講演参加者には9月に開催された祇園原貝塚シンポジウムの資料が配られました。


講演風景

加曽利貝塚博物館特別展「市原市指定史跡祇園原貝塚-千年続いた縄文のムラ-」の展示はこれまで3回観覧し、多数の遺物について3Dモデルを作成して観察してきました。その観察で祇園原貝塚について興味が深まっていますので、この講演は自分にとって学習意義がとても大きいものです。

講演では市原市祇園原貝塚の調査経緯、調査で判った主な特性、今後開館する市原歴史博物館での展示方法などについて、興味深い話題が次から次へと披露されました。この記事では自分が特段に面白いと感じた項目だけをメモします。

1 浅い窪地をとりまく居住地と貝塚

もともとの浅い谷地形を取り囲み居住地が形成されたとのことです。興味深いことはその浅い窪地は長い年月で埋まることが考えられるが、実際は浅い窪地を削って埋まらないようにしていたことが確認されたとのことです。窪地を削った様子の情報は表示されませんでしたが、現場で確認されているとこのことです。今後発掘調査報告書等でその確認データをみつけて学習したいと思いました。加曽利貝塚北貝塚、南貝塚も同じように中央に窪地がありますから、祇園原貝塚と同じように削られていたのか、興味が湧きます。

また年代が新しくなるに従って竪穴住居の位置が中央広場中心に近づく様子や、竪穴住居の入り口が中央広場方向につくられている様子の説明がありました。


集落の様子

講演映像から引用

2 墓地と人骨集積

人骨、多遺体埋葬(合葬)、土器棺葬(幼児)が集中する場所が5箇所にあり、それらが時代別の居住地近くであるとの説明がありました。また、再葬を示す「人骨集積」があり、後期前半の葬送儀礼との説明があり、興味が湧きます。


葬送の違いを説明する写真

講演映像から引用

3 祇園原縄文人の食

祇園原縄文人の食について詳しい説明がありました。一言で要約すると陸上動物、魚貝類ともに特定の種にあまりこだわらないで多様な種を幅広く食べていたことが判ってきたとのことでした。陸上動物ではシカやイノシシに偏ることなく、ウサギやタヌキ、…ヘビやカエル…などを。魚貝類ではイボキサゴを貝類のメインとし、魚ではクロダイやスズキだけでなく、小形のイワシ、アジあるいは淡水のコイ、フナなども幅広く食べていたとこのことです。イボキサゴは旨味成分として活用し、ドングリなどのでんぷんを美味しく食べるために使っていたようです。このような柔軟性ある食生活が縄文社会継続の背景にあるとの説明でした。


魚類の説明

講演映像から引用

…………………

祇園原貝塚からゴカイ棲管製垂飾が出土しています。この講演で祇園原縄文人の食性の柔軟性が強調されました。それにより、祇園原縄文人はゴカイを食べていたとの自分の想定の確からしさが高まったと感じました。

…………………

4 貝輪づくり用石器

貝輪づくり用石器発見というとても興味深い話がありました。最初何に使う石器であるか不明だったのですが、貝輪づくりイベントでヒントを得て、その石器が貝輪づくりに使われていたことが判ったとのことです。銚子付近だけで採れる固い砂岩だそうです。


貝輪づくり用石器

講演映像から引用

5 近隣集落で異なる黒曜石原産地

祇園原貝塚の近隣の同時代集落で水系が異なる遺跡の黒曜石産地が全く異なっているという興味深い話がありました。水系が移動経路になっていて、それが異なると交易が大きく異なっていたという地理的ネットワーク的にきわめて興味い事象です。


遺跡と水系の様子

講演映像から引用



2021年10月12日火曜日

アホウドリ骨製垂飾(ペンダント)

 加曽利貝塚博物館特別展「-市原市史跡指定-祇園原貝塚 千年続いた縄文のムラ」に展示されているアホウドリ骨製垂飾(ペンダント)をみて、いろいろな感想が生まれましたのでメモします。

1 アホウドリ骨製垂飾(ペンダント)


アホウドリ骨製垂飾(ペンダント)

アホウドリ骨製垂飾(ペンダント)は、特別展「よそおい」コーナーに他の動物骨製製品と一緒に展示されています。

2 アホウドリは祇園原貝塚付近で獲れたか

アホウドリというと乱獲で絶滅したと考えられたのが1951年に鳥島で発見されました。その後保護繁殖活動が進み、現在では鳥島や尖閣諸島などで5000羽程度生息していると推定されています。南海の孤島で行われる保護繁殖活動がたびたびニュースになります。そのアホウドリが縄文時代後期に市原市付近で獲れたのか興味が深まり、調べてみました。


市原市祇園原貝塚の位置

Google earth proによる


市原市祇園原貝塚の位置

Google earth proによる

次の資料は「千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)」掲載資料です。


山の幸-鳥・獣- 4000~3500年前(縄文時代後期前半)

「千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)」から引用

市原市祇園原貝塚の近隣でほぼ同時代の西広貝塚でアホウドリ(l)が検出されています。房総南端の館山市ではアホウドリ(l)が1/4ほどの割合をもって検出されています。この情報から房総南端縄文人の活動圏内にアホウドリが生息していたことが推察できます。そうであれば、祇園原貝塚の人々が東京湾口付近まで海漁遠出をすれば、あるいは近隣交易により比較的たやすくアホウドリを入手できたことが推察できます。縄文後期の市原縄文人にとってアホウドリは珍しいけれども入手可能なタンパク源の一つだったようです。

3 アホウドリ骨製垂飾(ペンダント)の意味

アホウドリ骨製垂飾(ペンダント)は一緒に展示されているカモの骨、オオカミの骨、タヌキ犬歯、ゴカイの棲管、サメ椎骨、タヌキの犬歯、イヌ歯、イノシシの骨(赤彩)、イノシシ牙、シカ角、ウミガメ骨製などの垂飾(ペンダント)とくらべてどのような価値があったのでしょうか?

イノシシの骨製垂飾(ペンダント)に赤彩がほどこされていることから、これの価値が高かったことは判ります。しかし、他のモノの間の相対的価値関係は判りません。一般論としては、珍しい動物素材にそれぞれ一定の価値があったように想像できます。ゴカイの棲管(現生?化石?)まで製品になっています。有吉北貝塚では生き物ではありませんが高師小僧(土中に出来た褐鉄鉱のチューブ)が朱塗り穿孔されて北斜面貝層から出土しています。

想像を加えれば、アホウドリの骨利用は単に珍しい鳥ということではなく、大きな羽根を広げて海洋の上を雄大に飛ぶ姿に一種の霊力を感じたからこそ、それを肌身につける装飾品にしたのだと思います。おそらく「きれいに身を飾る」という現代風観念はなく、「アホウドリの雄大な飛翔力(霊力)を自分に取り込む」という観念が働いていたのだと思います。

(現在ははやりませんが、例えばワニ皮ハンドバックはワニの強さにあやかろうという観念が最初の製品化出発点にあり、それが隠れた原動力となり流行ったのだと推測します。ヒョウ柄衣類の流行も同じようにヒョウの俊敏な狩猟力にあやかろうという観念が背後にあると考えます。)

4 四季のカレンダー

「千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)」には次の四季のカレンダーと説明が掲載されています。説明にはアホウドリの写真が掲載されています。


四季のカレンダー

「千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)」から引用

(鳥の絵とイボキサゴの絵が出てこないのが残念)


四季のカレンダー説明

「千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)」から引用

鳥は獣類とくらべるとタンパク源としてはその役割は小さいようですが、重要な狩猟対象であったことに間違いありません。もしかしたら、縄文時代の鳥の意義についてこれまでの考古学は過小評価しているかもしれません。

食料としての鳥のほか、鳥の羽根や骨の利用、鳥にかかわる祭祀などについて知識を吸収していくことにします。