大膳野南貝塚後期集落のまとめをざっと学習してきて、自分に少しずつ集落のイメージができてきました。
この記事から後期集落竪穴住居の柱穴分析のつづきに入ります。
2017.05.08記事「後期集落竪穴住居の柱穴予察検討」参照
この記事では検討の視点をメモします。
前期集落と異なり、後期集落では廃絶竪穴住居から人骨が出土した廃屋墓が11軒あります。
大膳野南貝塚後期集落廃屋墓
廃屋墓ではおそらくモガリと同じような祭祀が行われ、祭壇も立てられていたに違いありません。
廃絶竪穴住居から祭壇跡が見つかるとするとその有力対象が廃屋墓です。
そこで、まず廃屋墓としての廃絶竪穴住居の柱穴分析を行い、祭壇跡を探してみます。
例えばJ67住居では、発掘調査報告書で建物構造としての柱穴と認識されていない柱穴が人骨に近くにあります。
J67住居平面図(黄色柱穴は発掘調査報告書で建物構造と関わらないとされているもの)
発掘調査報告書から引用
J67住居写真
発掘調査報告書から引用
今後詳細に検討することによって、J67の3つの非構造柱穴が祭壇の可能性ありと想定できるかもしれません。
廃屋墓の次に特徴的出土物のある廃絶住居跡の柱穴分析を引き続き行い、比較検討を深めたいと思います。
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参考
前期集落の検討
2017.04.19記事「竪穴住居廃絶時の祭壇跡か」から
柱穴分析
祭壇の空想
2017年7月20日木曜日
2017年5月29日月曜日
西根遺跡 土器分布空間構造の推察
小グリッド土器総重量と土器分布図のオーバーレイができましたので、それを使って土器分布空間構造の推察を行いました。
その結果を次に示します。
小グリッド土器総重量と土器分布図のオーバーレイ 1
小グリッド土器総重量と土器分布図のオーバーレイ 2
その結果を次に示します。
小グリッド土器総重量と土器分布図のオーバーレイ 1
小グリッド土器総重量と土器分布図のオーバーレイ 2
土器集中部(土器送り場主要部)とそれを囲む円周土器配列が各所で観察できます。
円周土器配列は円周祭壇(イナウ列、ヌササン)の跡であると推察します。
土器集中部及び円周土器配列ともに当時の河道の中に分布しているものも多く、河道の水量が少ないという理由だけでなく、積極的に水中に土器を置いた場合も多かったことを物語っていると考えます。西根遺跡はまさに水辺の遺跡です。
(流水の力で陸域の土器が水中に流れ込んだという発掘調査報告書の考え方は首肯できないと考えています。2017.05.11記事「西根遺跡 土器集中域詳細把握と問題意識」参照)
直線土器配列も各所で観察できます。直線土器配列も祭壇(イナウ列、ヌササン)の跡であると推察します。直線土器配列の多くは戸神川の上流方向を向いています。(2017.05.14記事「西根遺跡 土器集中域直線状配置の方向の意味」参照)
矩形土器集中区画とその中に位置する土器集中部(土器送り場主要部)も第4、第5集中地点で観察できます。
以上の観察は小グリッド別土器総重量のデータと土器精細分布図のオーバーレイから行ったものです。
これに小グリッド別土器種別データ、小グリッド別獣骨重量データを加えて、さらに観察を深めます。
土器集中部とそれを囲む円周列、あるいは隣接する直線列の存在から、西根遺跡の土器集中は土器を祭壇など空間構造表現ツールにも使っていて、単純な「土器そのものの送り場」でないことは確実です。
「土器送り」という表面的な活動の奥には別のより意義の大きな祈願が存在しているように感じられます。
2017年4月19日水曜日
竪穴住居廃絶時の祭壇跡か
大膳野南貝塚 前期後葉集落 竪穴住居廃絶時の祭壇跡か
2017.04.18記事「複数竪穴住居の関連性検討」でJ50、J68竪穴住居の関連性を検討し、その中で柱穴分類図を作成しました。
その柱穴分類図をみると主柱穴、壁柱穴とは考えられない柱穴が存在していて、発掘調査報告書では説明されていないことがわかりました。
その説明の無い柱穴の分布をよくみると竪穴住居廃絶時の祭壇跡であるという仮説が思い浮かびましたのでメモしておきます。
居住空間内の柱穴ですから居住している時に存在していたとは考えられにくいことから、廃絶時に柱が建てられたと考えることが妥当です。
また、竪穴住居から土器・石器・獣骨など祭祀に関わると考えられる遺物が出土していますから、その柱が祭祀に関わるものであると考えることが妥当です。
次に説明の無い柱穴を結んで、祭壇の様子を復元してみました。
祭壇イメージの復元
祭壇が北方向を拝むような配置になっている様子として復元できました。
この図を北を上に方位を揃えてみると、復元祭壇が北方向を拝めるようになっているだけでなく、そもそも竪穴住居の主柱設置の際に北方向を意識している様子も感じられました。
さらに、説明の無い柱穴が新段階主柱穴の位置に規制されているので、祭壇は建物が存在していた時(上物が存在していたとき)、その室内に設置されたことが判りました。
祭壇検討図
北方向を意識して竪穴住居を建設し、北方向に向かって拝む祭壇をつくることから、北極星に関する信仰が存在していたことが想定できます。
旧石器時代から北極星が人の移動の目安となり、信仰の対象になっていたことは想像に難くありませんから、縄文時代前期後葉社会でも北極星信仰があり、人の送り祭祀での拝む方向が北であったのだと思います。
祭壇の様子を空想すると次のようになります。
空想 祭壇
(写真説明「(北東から)」は間違っています。南東からです。)
縄文人の祭壇の姿が時代を経てアイヌの祭壇に、いろいろな改変や修飾が加わわりつつ、伝わっていると想像します。
J50竪穴住居で観察できた事柄が他の竪穴住居でも観察できるか、今後検討を深めることにします。
2017.04.18記事「複数竪穴住居の関連性検討」でJ50、J68竪穴住居の関連性を検討し、その中で柱穴分類図を作成しました。
その柱穴分類図をみると主柱穴、壁柱穴とは考えられない柱穴が存在していて、発掘調査報告書では説明されていないことがわかりました。
その説明の無い柱穴の分布をよくみると竪穴住居廃絶時の祭壇跡であるという仮説が思い浮かびましたのでメモしておきます。
居住空間内の柱穴ですから居住している時に存在していたとは考えられにくいことから、廃絶時に柱が建てられたと考えることが妥当です。
また、竪穴住居から土器・石器・獣骨など祭祀に関わると考えられる遺物が出土していますから、その柱が祭祀に関わるものであると考えることが妥当です。
次に説明の無い柱穴を結んで、祭壇の様子を復元してみました。
祭壇イメージの復元
祭壇が北方向を拝むような配置になっている様子として復元できました。
この図を北を上に方位を揃えてみると、復元祭壇が北方向を拝めるようになっているだけでなく、そもそも竪穴住居の主柱設置の際に北方向を意識している様子も感じられました。
さらに、説明の無い柱穴が新段階主柱穴の位置に規制されているので、祭壇は建物が存在していた時(上物が存在していたとき)、その室内に設置されたことが判りました。
祭壇検討図
北方向を意識して竪穴住居を建設し、北方向に向かって拝む祭壇をつくることから、北極星に関する信仰が存在していたことが想定できます。
旧石器時代から北極星が人の移動の目安となり、信仰の対象になっていたことは想像に難くありませんから、縄文時代前期後葉社会でも北極星信仰があり、人の送り祭祀での拝む方向が北であったのだと思います。
祭壇の様子を空想すると次のようになります。
空想 祭壇
(写真説明「(北東から)」は間違っています。南東からです。)
縄文人の祭壇の姿が時代を経てアイヌの祭壇に、いろいろな改変や修飾が加わわりつつ、伝わっていると想像します。
J50竪穴住居で観察できた事柄が他の竪穴住居でも観察できるか、今後検討を深めることにします。
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